富民侯(ふみんこう)は、古代中国の漢のときに封じられた列侯の一つである。封地は沛郡の蘄県[1]。田千秋と田順の父子2人がなった。
漢の武帝が丞相の田千秋を列侯に封じたときに富民侯の名を与えた。侯の呼び名は封じた土地の名からとることが多いが、この場合は異なる。武帝は四方に遠征して領土を拡大したが、国内の負担が大きかった。晩年、征伐を悔やんだ武帝が、「富民」の願いを丞相に寄せたものである[2]。はじめ800戸だったが、武帝が後元2年(前87年)に死んだときの遺詔で1600戸に増えた[3]。
田千秋の死後は子の田順が継いだが、田順が罪を得て自殺すると絶えた[4]。
- ^ 班固『漢書』食貨志第4上への韋昭の注。ちくま学芸文庫版『漢書』2、445頁注84。
- ^ 『漢書』食貨志第4上、西域伝第66下。ちくま学芸文庫版『漢書』2の442頁、8の104頁。
- ^ 『漢書』外戚恩沢侯表第6。中央研究院「漢籍全文資料庫」を参照。
- ^ a b 『漢書』公孫劉田王楊蔡陳鄭伝第38。ちくま学芸文庫版『漢書』6、59頁。
- ^ 『漢書』外戚恩沢侯表第6。
- ^ 『漢書』百官公卿表第7下。、昭帝紀第7。ちくま学芸文庫版『漢書』1、226頁。
- ^ 『漢書』匈奴伝第64上。ちくま学芸文庫版『漢書』7、588-598頁。