寒風沢島

宮城県、浦戸諸島にある島

寒風沢島(さぶさわじま)は宮城県塩竈市にある島である。

寒風沢島

寒風沢島の空中写真。
2019年4月29日撮影の4枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本の旗 日本 宮城県塩竈市
所在海域 松島湾
所属諸島 浦戸諸島
座標 北緯38度19分59秒 東経141度07分28秒 / 北緯38.33306度 東経141.12444度 / 38.33306; 141.12444
面積 1.45 km²
海岸線長 13.5 km
最高標高 30 m
寒風沢島の位置(宮城県内)
寒風沢島
寒風沢島
寒風沢島 (宮城県)
寒風沢島の位置(日本内)
寒風沢島
寒風沢島
寒風沢島 (日本)
プロジェクト 地形
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概要

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「開成丸(かいせいまる)」(1858年)

面積1.45平方キロメートル、人口約100人[1]。浦戸諸島最大の島である。寒風沢水道を隔てて野々島と、鰐ヶ淵水道を隔てて宮戸島と、東西を両島に挟まれるような形になっている。江戸期の文人である大田南畝の書いた随筆[2]には「寒澤島」とある。いつしか島名に「風」の一字が付け加わったと伝わる[3]

野々島と面する島の西側に集落が広がり、宮城県漁業協同組合塩釜市浦戸東部支所がある。島内には水田が広がり、農業に従事している人も多い。自給自足を実現している島といわれる[4]。寒風沢島と野々島の間では無料の渡し舟が運航されており、詰所の人に頼むか、無人の場合は鐘を鳴らすと運航する。2023年現在では、船頭の携帯電話に電話することで運航し、寒風沢島と野々島、朴島を結んでいる。

江戸時代に寒風沢島は風待港、積替港として繁栄した。幕府がこの島に蔵を建て、伊達郡などの年貢米がいったんここへ集められ、千石船に積み替えられて江戸へ運ばれた[3]。寒風沢島には船乗りを相手にした遊廓が作られ、客を放したくない為に荒天を祈る遊女の想いが込められた「しばり地蔵」が名所となっている。また、江戸時代後期、日本人として初めて世界一周を果たした4名のうちの津太夫と左平の出身地はここである。幕末には、仙台藩初の西洋式軍艦「開成丸」がここで建造され、記念碑である「造艦の碑」が建つ[1]戊辰戦争では、江戸を脱出した榎本武揚の幕府艦隊が一時ここに投錨した。

交通

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塩竈市営汽船塩竈港→桂島→野々島→寒風沢港(44分)[5]

脚注

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  1. ^ a b 浦戸諸島/寒風沢島”(塩竈市)2019年6月29日閲覧。
  2. ^ 大田南畝「半日閑話」吉川弘文館(日本随筆大成 巻4)、1927年、287頁。同書には、「江戸期に、寒澤島に漂着した額板を寒澤寺の額板とした故事」が記載されている。漂着した額板には署書体で「説好話・読好書・倣好人・行好事・漢壽亭侯関羽之書」と書かれている。
  3. ^ a b 『宮城県の地名』(日本歴史地名大系第4巻)367頁。
  4. ^ 斎藤潤『日本島旅紀行』より。
  5. ^ 日本の島へ行こう - 寒風沢島(さぶさわじま)

関連項目

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外部リンク

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