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寺西 直次(てらにし なおつぐ、弘治3年(1557年) - 慶安2年(1649年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名。定時、信乗とも。通称、勝兵衛。従五位下、備中守。

経歴編集

豊臣秀吉の家臣として、美濃国本巣郡本田城を拝領し、のちに伊勢近江越前国内1万石を拝領するまでになる。豊臣氏蔵入地の近江国長浜10万石の代官でもあった。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いでは当初会津征伐に従軍したが、石田三成の挙兵を聞くと家康に断って城主の氏家行広とともに桑名城に引き返し籠城した。できれば中立の立場を貫きたかったが、心ならずも西軍に与した。本戦の翌日の9月16日(または9月17日とも)に山岡景友九鬼守隆らの攻撃を受けて山岡の勧めで降伏し城を出る。剃髪して意閑と号する。翌年、前田利長の家臣となる。