小堀 純(こぼり じゅん、1953年 - )は、現在は主に関西圏で活躍する、日本の編集者、演劇評論家、演劇プロデューサー。

経歴 編集

愛知県名古屋市生まれ。大学卒業後、1976年「プレイガイドジャーナル名古屋」に入社し、演劇担当となり、のちに編集長に。

まだ、名古屋でしか知られていなかった北村想の処女出版を担当し、北村の名前を広く知らせる。1982年の同誌廃刊[1]の後、大阪の「プレイガイドジャーナル」からスカウトされて入社。営業・進行を担当した後、1984年に村上知彦の後をうけ六代目編集長となり、「編集部が解散」する1987年12月号まで、編集長をつとめた[2]。この時に執筆者だった中島らもと知り合い、中島の死去まで、親しく交際した。

1988年から、フリーの編集者、ライターに。また、季刊雑誌「劇の宇宙」の編集長を、1998年から2001年の休刊まで、そして、2003年の復刊から2005年の再休刊までつとめた。 また、扇町ミュージアムスクエアの「OMS戯曲賞」の企画推進役をつとめた。他に、精華小劇場の「精華演劇祭」実行委員長でもある。

書籍編集者としては、北村想・内藤裕敬の劇曲集、中島らもの作品集、『OMS戯曲賞』などを手掛けている。

著書 編集

脚注 編集

  1. ^ なお、廃刊時点では、大阪にある同名誌との混同を避けるために「名古屋プレイガイドジャーナル」と誌名が変更になっていた。
  2. ^ 「プガジャ」はその後の、従来とまったく異なる編集メンバーにより、9号刊行されて、休刊。