小山 朝長(おやま ともなが、文治4年(1188年) - 寛喜元年11月17日1229年12月4日[1])は、鎌倉時代武将小山朝政の子。通称四郎

略歴編集

下野国の守護で、小山城の城主。初名は政義[1]鎌倉幕府に仕えて左衛門尉となる。承久の乱では武田信光小笠原長清と共に東山道大将軍の一人として従軍した。乱後、後鳥羽上皇方の葉室宗行を預かり、処刑している。(『吾妻鑑』より。)寛喜元年11月17日42歳で死去した。父、朝政に先立っての死去だったので、残された所領は改めて、朝政から朝長の嫡子、長村へ移譲された。

系譜編集

脚注編集