小浜 嘉隆(おはま よしたか、慶長5年(1600年) - 寛文4年3月23日1664年4月19日))は、江戸時代前期の旗本小浜光隆の子。正室は牧野信成の娘。通称は久太郎、民部丞。弟に小浜直隆(藤堂氏家臣)。子女に木下延由継室、小浜直隆(知隆)、小浜広隆小浜良隆小浜重隆養子)。

大坂の陣に父とともに従軍した。寛永17年(1640年)に船手頭となり、寛永19年(1642年)に大坂船手頭となった。砲術を得意とし、堺に教練する場を設け子弟の教育を行った。