小野寺 喜得 (おのでら きとく、1911年9月16日[1] -1993年4月4日[2])は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(5期)。

来歴

編集

岩手県西磐井郡真滝村(現・一関市)生まれ[3]1936年早稲田大学政治経済学部政治学科卒[1][3]。卒業後は岩手県庁に入り、6年間勤務したのち[3]、一関市役所に移る[3]1958年教育長、翌1959年助役となり[1]1963年一関市長に当選する。

市長在職中は国立一関工業高等専門学校日本電気の誘致、駅前など土地区画整理事業の実施、両磐地区広域市町村圏指定、同地区広域消防組合の発足、市役所の移転、国土庁モデル定住圏策定圏域選定、東工業団地の造成と工場誘致などに参画した[3]

一関市長を1983年まで5期20年務めた[1]。1993年に死去した。

栄典

編集

脚注

編集
  1. ^ a b c d 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、247頁。
  2. ^ 『現代物故者事典 1991~1993』158頁。
  3. ^ a b c d e 『岩手県姓氏家系歴史人物大辞典』112頁。

参考文献

編集
  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ株式会社、1994年。
  • 岩手県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編著『岩手県姓氏家系歴史人物大辞典』角川書店、1998年。