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小野 小贄(おの の おにえ)は、奈良時代貴族朝臣。系譜は明らかでないが、一説では大宰大弐小野老の子[1]官位正五位下摂津大夫

 
小野小贄
時代 奈良時代
生誕 不明
死没 不明
官位 正五位下摂津大夫
主君 聖武天皇孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇光仁天皇
氏族 小野朝臣
父母 父:小野老
兄弟 小贄竹良石根
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目次

経歴編集

聖武朝天平勝宝4年(752年従五位下下野守に叙任される。

淳仁朝天平宝字7年(763年内蔵助造宮少輔と一時的に京官を務めるが、天平宝字8年(764年紀伊守に任ぜられ再び地方官に転じる。同年に発生した藤原仲麻呂の乱での動静は明らかでないが、翌天平神護元年(765年)従五位上・右衛士督に叙任されている。

同年10月の称徳天皇紀伊国への行幸に際して、紀伊の諸官人叙位を受けたが、国守として小贄は正五位下に叙せられた[2]。また、行幸の帰途に際しても和泉国日根郡の深日行宮まで同行するが、天候が悪化したために小贄は一行と別れて紀伊に戻り、この際に称徳天皇から30疋と綿200屯を賜与されている[3]

神護景雲3年(769年中務大輔に任じられるが、翌神護景雲4年(770年大宰少貳宝亀2年(771年摂津大夫とみたび地方官を歴任した。

官歴編集

続日本紀』による。

脚注編集

  1. ^ 宝賀[1986: 276]
  2. ^ 続日本紀』天平神護元年10月22日条
  3. ^ 『続日本紀』天平神護元年10月26日条

参考文献編集