山中 元漸(やまなか もとやす、宝暦8年(1758年)- 寛政6年(1794年12月4日)は、日本の江戸時代郷士。鴻池村山中総本家の9代目当主。出雲国の戦国武将山中幸盛の子孫。山中元長の長男。通称は(9代)山中新右衛門と称した。

墓所大阪府池田市大広寺境内墓地にある。法号は漸入宗探居士。享年36。

生涯編集

山中元長の長男として生まれた。始祖である山中幸元は鴻池村において初めて酒造を行った年に、屋敷内に稲荷祠を設けていたが、宝暦13年(1763年)の秋、台風により祠が崩壊した。そのため、天明4年(1784年)に稲荷祠を復旧し、自らの要望によって大坂の私塾・懐徳堂の教授で師匠であった中井覆軒に依頼し碑文を撰し、父・元長が鴻池稲荷祠碑(稲荷社碑)を建立した。寛政2年(1790年)に父・元長の隠居により家督相続したが、寛政6年(1794年)12月4日に急死した。その後の鴻池村の山中本家は、14代山中元丘の代に突然と跡を絶ったとされる。幕末期に鴻池稲荷祠碑(稲荷社碑)は鴻池村山中本家の断絶により荒廃したため、何者かに持ち去られたが、明治年間に今橋鴻池家に買い取られた。

参考文献編集

  • 宮本又次『鴻池善右衛門』 吉川弘文館
  • 『伊丹・鴻池の歴史』

関連項目編集

先代:
山中元長
山中氏歴代当主
1790年 - 1794年
次代:
山中元興