山之内二郎
大日本帝国陸軍軍人
山之内 二郎(やまのうち じろう、1898年(明治31年)10月13日[1] - 1980年(昭和55年)6月29日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
山之内 二郎 | |
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生誕 |
1898年10月13日 日本 鹿児島県 |
死没 | 1980年6月29日(81歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1920年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1898年(明治31年)に鹿児島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第32期、陸軍大学校第40期[1]、東京帝国大学法学部卒業[2]。1939年(昭和14年)1月16日に陸軍省軍務局課員に就任し[2]、8月1日に朝鮮軍参謀に転じた[2]。1941年(昭和16年)3月1日に陸軍大佐に進級し[2]、10月15日に第6師団参謀長(第11軍)に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。1943年(昭和18年)6月11日に東部軍司令部附となり[2]、11月10日に軍需省軍需官に就任した[2]。
1945年(昭和20年)3月1日に陸軍少将に進級し[2]、免陸軍省整備局御用掛となり、中部軍管区参謀副長兼第15方面軍参謀副長に就任した[3]。5月5日には軍需省軽金属局長に就任した[1]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。