山根 寛作(やまね かんさく、1905年9月17日 - 1988年9月9日)は、日本経営者中国電力社長、会長を務めた[1]山口県出身[1]

経歴 編集

1927年神戸高等商業学校を卒業し、同年に山口電気局に入社し、1942年に中国配電(のちの中国電力)に転じた[1]1960年に取締役に就任し、1962年に常務、1967年に副社長を経て、1971年に社長に就任[1]1981年に会長に就任し、1985年には相談役に就任[1]。社長在任時に島根原発1号機、2号機の建設を推進[2]日本経営者団体連盟常任理事、経済団体連合会常任理事、中国地方経済連合会会長、中国放送広島ガス西日本旅客鉄道などの取締役などを歴任[2]

1967年藍綬褒章を受章[1]

1988年9月9日心不全のために広島市の病院で死去[2]。82歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 「現代物故者事典 1988-1990 p671」
  2. ^ a b c 1988年 9月10日 日本経済新聞 朝刊 p31
先代
櫻内乾雄
中国電力社長
1971年 - 1981年
次代
松谷健一郎