山田 定義(やまだ さだよし、1892年明治25年)11月26日 - 1971年昭和46年)11月16日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

山田やまだ 定義さだよし
少佐時代の山田定義
生誕 1892年11月26日
日本の旗 日本福岡県
死没 (1971-11-16) 1971年11月16日(78歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1914年 - 1945年
最終階級 海軍中将
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経歴 編集

福岡県出身。山田定直陸軍大佐の長男として生まれる。松江中学校を経て、1914年大正3年)12月、海軍兵学校42期)を5番/117名の成績で卒業し、1915年(大正4年)12月、海軍少尉に任官。1916年(大正5年)12月から翌年まで航空術学生として学んだ。横須賀航空隊付、フランス駐在、横須賀航空隊分隊長、同飛行隊長、霞ヶ浦航空隊教官などを経て、1928年(昭和3年)12月、海軍大学校(甲種26期)を卒業した。

連合艦隊参謀軍令部第1班第2課参謀、同第2班第3課参謀、第1航空戦隊参謀、海軍省臨時調査課員、フランス大使館付武官、軍令部第3部第7課長、横須賀鎮守府付、「蒼龍」「加賀」の各艦長などを経て、1941年(昭和16年)10月、42期の一選抜組として少将に進級。

太平洋戦争には第25航空戦隊司令官として出征した。第3艦隊参謀長、横須賀航空隊司令、第51航空戦隊司令官などを歴任し、1944年10月、海軍中将となった。第101航空戦隊司令官などを経て、第3航空艦隊司令長官として終戦を迎え、1945年10月、予備役に編入された。

親族 編集

参考文献 編集

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。