山階 信弘(やましな のぶひろ 1910年2月21日 - 1990年1月6日)は、能楽師観世流シテ方として活動した。

経歴 編集

1910年(明治43年)、大阪府大阪市に生まれる。1913年大正3年)、大阪博物館で鞍馬天狗子方として初舞台を踏み、修行の傍ら観世宗家に入門。1927年昭和2年)に大阪府立北野中学校を卒業[1]後は能に専念する。24世観世左近に師事し、1938年(昭和13年)山階徳次郎の芸嗣子となり山階家を継承した。

1957年(昭和32年)に小袖曽我で芸術祭奨励賞受賞。1963年(昭和38年)に演能50周年独演五番能を開催。1965年(昭和40年)に演能使節団として欧米に渡航した。その後、観世会理事、能楽協会理事を歴任。

没後、山階家は観世流宗家の観世清和の実弟(2007年に山階彌右衛門を襲名)が後見を務めた[2]

兄は大西信久、弟は大西信彦でともに観世流シテ方の能楽師である。

著作・出演 編集

  • 『歳月』中央公論社 1988年
  • 『観世流・声の百番集 37』丸岡明/編(シテ役で出演) 筑摩書房 1967年
  • 『現代謡曲全集 47』および『現代謡曲全集 49』丸岡明/編(シテ役で出演) 筑摩書房 1965年
  • 宮本武蔵 (1954年の映画)

脚注 編集

  1. ^ 山階信弘『出身県別 現代人物事典 西日本版』p1028 サン・データ・システム 1980年
  2. ^ 山階彌右衛門にポーラ賞 能楽名門家の「再興」に尽力”. 朝日新聞DIGITAL (2020年10月15日). 2022年6月29日閲覧。