岡八
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岡 八(おか わかつ、1876年(明治9年)8月4日[1] – 1970年(昭和45年)12月2日[2])は、日本の政治家、弁護士、弁理士。衆議院議員(1期)。
経歴
編集三重県安濃郡神戸村(現津市)に奥田八郎の長男として生まれ、岡義之助の養子となった[3]。1903年(明治36年)、京都帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補となった[2]。1905年(明治38年)、大阪地方裁判所判事となるも、翌年に退官して弁護士を開業した[4]。
1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たしたが、1913年(大正2年)5月9日、議員辞職[5]。同年8月4日、自らの請求で所属の大阪地方裁判所の弁護士名簿登録取消[6]。同年9月23日に従七位返上を命じられる[7]。
その他、白洋汽船株式会社取締役を務めた[3]。
脚注
編集- ^ 衆議院『第29回帝国議会衆議院議員名簿』1912年。
- ^ a b 『議会制度百年史』
- ^ a b 『大衆人事録』
- ^ 『安濃郡誌』pp.212-213
- ^ 官報 1913年5月12日 二六二頁
- ^ 官報 1913年8月11日 一七八頁
- ^ 官報 1913年9月25日 四八七頁
参考文献
編集- 安濃郡教育会編『三重県安濃郡誌』安濃郡教育会、1924年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。