岡部 貞綱(おかべ さだつな、永正2年(1505年) - 永禄9年8月15日1566年9月8日))は、戦国時代武将

 
岡部貞綱
時代 戦国時代
生誕 永正2年(1505年
死没 永禄9年8月15日1566年9月8日
別名 与惣兵衛(通称
戒名 並三
主君 今川氏真
氏族 岡部氏藤原南家工藤氏
兄弟 大姥局長綱貞次
テンプレートを表示

人物

編集

駿河国戦国大名今川氏真の家臣だった。岡部氏武田信玄駿河侵攻にて武田水軍として編成された。

嫡男の岡部長綱はのち徳川家康に仕えて旗本となり、1500石を領する大身となった。また娘は川村重忠に嫁ぎ、夫の死後はやはり徳川家に出仕して徳川秀忠の乳母となり、大姥局と称した。

その他

編集

同族の武田水軍土屋貞綱は別人。

参考文献

編集