岩崎 琢弥(いわさき たくや、1928年11月29日 - )は、日本の経営者日興証券社長を務めた。

来歴・人物 編集

北海道小樽市出身[1][2]松本高等学校文科を経て[1]1954年東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に日興証券に入社[1][2]1979年12月に取締役に就任し、1981年9月に常務、1984年11月に専務、1985年11月に副社長を経て、1986年12月に社長に就任[1][2]。大口投資家への損失補てんによる責任を取る形で社長を辞任し、1991年6月に副会長に退き、1996年6月に会長を経て、1997年10月から顧問を務めた[2][3]

2000年6月からコナミ取締役も務めた[2]

旧制松本高等学校時代にサッカー部であったことから、社長時代の1990年に同社の女子サッカーチーム「日興證券女子サッカー部ドリームレディース」の結成に関わった[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 北海道新聞、1989年12月22日朝刊全道4頁 「<交差点> 女子サッカー部もやるからには勝つ-日興証券の岩崎琢弥社長」
  2. ^ a b c d e 興信データ株式會社 2003, い295頁.
  3. ^ 13章 バブルのうみ、次々-ビジュアル年表(戦後70年):朝日新聞デジタル

参考文献 編集

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第42版 上』興信データ、2003年。 
先代
梅村正司
日興証券社長
1986年 - 1991年
次代
高尾吉郎