岷州(みんしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から民国初年にかけて、現在の甘粛省南部に設置された。

概要 編集

544年大統10年)、西魏により岷州が立てられた。州治は溢楽県に置かれた。

初に、岷州は同和郡に属する溢楽・和政当夷の3県および祐川郡基城県を管轄した。606年大業2年)、岷州は廃止されて、洮州に編入された。607年(大業3年)、洮州は臨洮郡と改められた[1]618年義寧2年)、臨洮郡の臨洮・和政の2県を分割して、再び岷州が置かれた[2]

742年天宝元年)、により岷州は和政郡と改称された。758年乾元元年)、和政郡は岷州と改称された。岷州は隴右道に属し、溢楽・祐川・和政の3県を管轄した[3]761年上元2年)、岷州は吐蕃に占領された。

1076年熙寧6年)、岷州は北宋に帰順した[4]の岷州は秦鳳路に属し、祐川・大潭長道の3県と臨江・茘川・𢇲川・閭川・宕昌の5砦と遮羊・穀蔵・鉄城の3堡と滔山監を管轄した[5]

のとき、岷州は陝西等処行中書省に属した[6]

1371年洪武4年)、により岷州千戸所が置かれ、河州衛に属した。1378年(洪武11年)、岷州千戸所は岷州衛と改められた。岷州衛は陝西等処承宣布政使司に属し、西固城守禦軍民千戸所を管轄した[7]

のとき、岷州は鞏昌府に属した[8]

1913年中華民国により岷州は廃止された。

脚注 編集

  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 新唐書』地理志四
  3. ^ 旧唐書』地理志三
  4. ^ 宋史』神宗紀二
  5. ^ 『宋史』地理志三
  6. ^ 元史』地理志三
  7. ^ 明史』地理志三
  8. ^ 清史稿』地理志十一