島田保之助
島田 保之助(しまだ やすのすけ、安政5年10月12日[1][2](1858年11月17日) - 昭和2年(1927年)2月21日)は、衆議院議員(立憲政友会→中正会→憲政会)、ジャーナリスト。
経歴 編集
近江国野洲郡中洲村大字新庄(現在の滋賀県守山市)出身。郷里で漢学を修めた後、京都に遊学した。1880年(明治13年)、滋賀県医学校に入学したが、翌年に東京に遊学した[3]。東京で自由民権運動に参加し、1884年(明治17年)に自由党に入党。その後も立憲自由党の設立に尽力し、1892年(明治25年)から自由党滋賀県支部幹事を務めた[3]。1894年(明治27年)、「淡海民報」を創刊し、1902年(明治35年)には「江州新聞」を創刊した[3]。
1903年(明治36年)より滋賀県会議員を務めた後、1908年(明治41年)の第10回衆議院議員総選挙に立憲政友会から立候補し、当選した。しかし政友会が第1次山本内閣と妥協したのを不満として、尾崎行雄らとともに離党した[1]。1915年の第12回衆議院議員総選挙では中正会から出馬し、当選した。
脚注 編集
参考文献 編集
- 鷹居匡『第二十八議会衆議院議員写真列伝』経済時報社、1912年。
- 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。