市川十郎(いちかわじゅうろう、文化10年(1813年)-慶応4年3月14日1868年))は、江戸時代後期の兵法家、史家。名は有翼、字を仲則、号に松筠。兵法家の市川一学の子。

経歴 編集

嘉永3年(1850年)、父を補佐して松前藩福山城の築城に参加、その後幕命で蝦夷地(現在の北海道樺太等)を実地調査し鎌倉時代の僧日持の足跡などをたどる。本州に戻ると、大坂天保山に砲台を築き、慶応3年(1867年)までに、江戸昌平黌教授に就任したが、間もなく没した。

参考資料 編集

著作 編集

参考文献 編集

関連項目 編集