市河頼房
市河 頼房(いちかわ よりふさ)は南北朝時代から室町時代の武将。幼名は松王丸、通称は刑部大輔、甲斐守。
時代 | 南北朝時代 - 室町時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 松王丸、刑部大輔、甲斐守、入道号:興仙 |
主君 | 足利尊氏→上杉朝房→斯波義種→小笠原長秀 |
氏族 | 市河氏 |
父母 | 市河助房 |
経歴・人物 編集
康永2年/興国4年(1343)年、父の市河助房より家督を継ぎ、信濃国志久見郷などの所領を受け継ぐ。観応の擾乱の際には越後上杉氏に従い足利直義方として従軍した。応安元年/正平23年(1368年)信濃守護上杉朝房の下で武蔵平一揆の制圧に参加し、河越館や宇都宮城を攻めた。のち出家し興仙と称する。嘉慶元年/元中4年(1387)年には守護斯波義種に抗した村上頼国らと戦っている。応永7年(1400年)大塔合戦の際も、守護小笠原長秀の与党として参戦した。一貫して時の信濃守護に与し、将軍足利義満より感状を授かった。