平 盛兼(たいら の もりかね)は、平安時代後期の北面武士

 
平盛兼
時代 平安時代後期
生誕 不明
死没 不明
別名 大掾盛兼
官位 右衛門尉
氏族 桓武平氏大掾氏?、伊勢平氏
父母 父:平高衡?[要出典]平兼季[1]
信兼経隆
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経歴編集

桓武平氏大掾氏の一族で、平貞盛の弟平繁盛の子平兼忠の孫・平高衡の子。右衛門尉。大掾盛兼とも呼ばれる。また、『吾妻鏡』では、伊勢平氏平維衡の末裔と記されている。子に平信兼平経隆がいる。孫は山木兼隆

天永2年(1111年)に馬充と見え、のち左兵衛尉・左衛門尉となり院の北面に候し検非違使となる[1]長承3年(1134年従五位下からへ昇叙され、久安3年(1147年土佐守を経て、同5年に和泉守となった[1]

保元の乱の際、鳥羽法皇の遺勅によって集められた中に名があり、藤原忠通方として戦った。[要出典]

脚注編集

  1. ^ a b c 阿部 2009, 433頁.

参考文献編集

  • 阿部猛 『日本古代人名辞典』 東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617