久木 直子(ひさき なおこ、1959年 - )は、富山県高岡市出身の元車いす陸上競技車いすマラソン)選手。旧姓、幸塚。

久木直子 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム 久木直子
(旧姓・幸塚直子)
国籍 日本の旗 日本
競技 車いす陸上競技
種目 車いすマラソン
生年月日 1959年(64 - 65歳)
出身地 富山県高岡市[1]
居住地 石川県能美市[1]
編集 テンプレートのヘルプを表示する

来歴・人物 編集

1961年、2歳の時に急性灰白髄炎となり、両足の機能を失った。高岡市立平米小学校卒業後、母親の故郷の金沢市に移り、石川県立養護学校中等部に入学[1]。幼少時代から手にサンダルをはめて移動していたため、上半身の筋力が発達し[2]、スポーツで頭角を現した。高等部在学時の1976年に、佐賀県で開催された第12回全国身体障害者スポーツ大会の水泳と陸上競技に出場。翌1977年の第2回フェスピック・オーストラリア大会に日本代表選手として出場し、陸上競技の100mと400mで金メダル、50m平泳ぎで銀メダル、卓球で銅メダルの計4つのメダルを獲得した[3][1]

1983年には第3回大分国際車いすマラソン大会に出場し、ハーフマラソン女子の部で日本人初の優勝を果たした[1]。翌年には同大会のフルマラソン女子の部に招待選手として出場し、日本人女性として初めて車いすで42.195kmを完走して3位の成績を収めた[1]

平成4年に結婚し、1男1女をもうけ、野々市町役場に勤務[2]。現在は小松市役所に勤務する傍ら、学校や地域団体等からの講演依頼を多く受けている[1]

エピソード 編集

  • 母親の強い信念のもと、小学校は普通学級に通った。ただし、校舎の段差などの改修を行わないことが条件であったため、階段の上り下りは足を引きずりながら手だけで移動したため、ズボンのすそがいつもボロボロであった[2]
  • 母親は、世間からの好奇の目に慣れさせるために外出させ、入浴も自宅の風呂を使わず、あえて銭湯に通わせた[2]
  • 当時はこども用の車いすがなかったため、手にサンダルをはめて上半身の力のみで移動していたが、それが当然と思っていた[2]

成績 編集

  • 第3回大分国際車いすマラソン大会 ハーフマラソン女子総合優勝
  • 第4回大分国際車いすマラソン大会 フルマラソン女子3位

脚注 編集