延岡市立南方小学校

宮崎県延岡市にある小学校

延岡市立南方小学校(のべおかしりつ みなみかたしょうがっこう)は、宮崎県延岡市野田三丁目にある公立小学校。延岡市の西部に位置し、本校近くを五ヶ瀬川大瀬川が流れている。周辺はここ数年、東九州自動車道建設や土地区画整理事業が急速に進んでいる。また児童数は800名超であり、宮崎県北部においては比較的規模の大きい小学校である。

延岡市立南方小学校
地図北緯32度34分36秒 東経131度38分01秒 / 北緯32.57674度 東経131.63348度 / 32.57674; 131.63348座標: 北緯32度34分36秒 東経131度38分01秒 / 北緯32.57674度 東経131.63348度 / 32.57674; 131.63348
過去の名称 南方尋常小学校
南方家政女学校
南方国民学校
南方村立南方小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 延岡市
設立年月日 1907年(明治40年)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B145220317184 ウィキデータを編集
所在地 882-0801
宮崎県延岡市野田三丁目14番地2[1]
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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概要 編集

  • 児童数 - 825名(平成21年1月30日現在)

沿革 編集

  • 1907年(明治40年)4月11日 - 大貫、永田、三輪、吉野の4尋常小学校と合併して南方尋常小学校とする
  • 1924年(大正13年)
    • 4月1日 - 大貫、永田、下三輪、の区立尋常小学校合併、下三輪分校設置
    • 10月4日 - 第3棟改築落成祝賀式挙行、この日を創立記念日とする
  • 1927年(昭和2年)4月 - 南方家政女学校併設、修業年限2か年
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、南方国民学校と改称
  • 1947年(昭和22年)4月30日 - 学制改革により高等科を廃止し、南方村立南方小学校と改称
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 南方村が延岡市に合併され、延岡市立南方小学校と改称
  • 1962年(昭和37年)10月7日 - 校歌制定
  • 1963年(昭和38年)2月15日 - 学校給食開始
  • 1968年(昭和43年)4月 1日 - 特殊学級新設
  • 1979年(昭和54年)3月15日 - 北校舎新築
  • 1980年(昭和55年)11月20日 - プール竣工
  • 1982年(昭和57年)3月25日 - 屋外放送室新設(卒業記念)
  • 1983年(昭和58年)3月15日 - テレビ放映設備完成
  • 1989年(平成元年)3月25日 - 百葉箱寄贈(卒業記念)
  • 1997年(平成9年)6月21日 - 創立90周年記念航空写真撮影
  • 2005年(平成17年)4月 - 幼保小連携推進モデル事業推進校指定
  • 2007年(平成19年)5月24日 - 創立100周年記念航空写真撮影

創立100周年  編集

創立100周年を迎えた際に100周年記念祭を行い、OB、OGなどを来賓として盛大に行われた。 校庭から校舎を望む方向の中央に記念碑が建てられ、今もなお記念碑は現存している。 また、プールの壁画も100周年を祝い描かれた。壁画が描かれる前は灰色のコンクリートブロックだったと推測される。 また、職員室側入り口(正面玄関)には、校章が掲げられた。 100周年記念祭の様子はDVD化され、2枚組みのパッケージになって販売された。

100周年記念碑 編集

100周年を記念して立てられて記念碑には、川をモチーフにしたS字型の石の上に2匹の石製鮎があるが、 この鮎のうち1匹は記念碑が立てられた後、1週間もたたないうちに尻尾が折れ、もう1匹は、その後6ヵ月後に折られた。 現在も2匹の鮎は尻尾が折られたままで修復はされていない。

アクセス 編集

  • バス:宮崎交通南方小学校前バス停 下車、徒歩約3分

著名な卒業生 編集

関連項目 編集

脚注 編集

  1. ^ 土地区画整理事業の完成以前の住所は「延岡市野田町5910番地」
  2. ^ 14年がかり待望の完成 - 野田土地区画整理事業」『夕刊デイリー』2010年3月30日3面。

外部リンク 編集