後藤 直満(ごとう なおみち、生年不明 - 文政2年(1819年))は、日本商人歌人鳥取県米子市内町の後藤家当主(6代)。初名直僖、桃の舎、通称市郎右衛門。寛政文化期における米子の代表的な文化人だった。

経歴編集

和歌蹴鞠公卿・歌人飛鳥井雅威の門に入り学んだ。

文化年間(1804年~1817年)には上京して詠進し光格天皇より御料の御茶碗を賜った。

茶道も三斎流をたしなみ、庭内に茶席松風庵を設けた。

田代恒親と親交あり、享和元年(1801年)にともに本居宣長に名簿を送って入門した。

米子地方の国学振興にも影響を与えた。

参考文献編集

  • 『鳥取県大百科事典』編集・新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会、1984年、327頁。

関連項目編集

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