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愛宕神社(あたごじんじゃ)は、茨城県土浦市下高津2丁目8番1号にある神社。江戸時代は愛宕権現と呼ばれていた[1]旧社格村社

愛宕神社
Atago-Jinja (Tsuchiura).JPG
所在地 茨城県土浦市下高津2丁目8番1号
位置 北緯36度4分26.81秒
東経140度11分22.06秒
座標: 北緯36度4分26.81秒 東経140度11分22.06秒
主祭神 軻遇突知命 
社格 村社
地図
愛宕神社の位置(茨城県内)
愛宕神社
愛宕神社
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地理院地図 Googleマップ 愛宕神社(土浦市)

目次

概要編集

水戸街道(現在の国道354号旧道)沿いにある神社で、桜川右岸の台地斜面に鎮座する。かつては霞ヶ浦を一望できる風光明媚な場所で、愛宕神社の御神燈が灯台の機能を果たしていたという[2]

参道は旧水戸街道がある東向きに面し、手すり付きの階段が付いている[3]が、裏手の常福寺から直接入ることもできる。社殿のすぐ裏手まで駐車場や墓地が迫っている。愛宕神社の参拝者用駐車場は旧水戸街道の道向かいにあり、その隣には享保18年(1733年)建立の「下高津の道標」(土浦市指定史跡)がある。

江戸時代、下高津村の鎮守であるとともに、土浦城の表鬼門の守護とされた。桜川にかかる銭亀橋の先にある大町交差点の付近に、土浦城高津口(南門)が位置していた。

祭神編集

軻遇突知命
  • 神体は軻遇突知命の本地仏の勝軍地蔵である[4]
  • 火伏せの神として信仰されている。
  • 神社整理等による合併の有無は不明である[5][6]

境内社編集

香取神社(經津主命)、天満神社(菅原道真)、富士神社(木花咲耶姫命)、稲荷神社(倉稲魂命)の四社がある[5]。稲荷神社は高津稲荷神社の一名がある。

祭礼編集

夏に祇園祭が行われている。毎年2台から3台の山車が出る。

由緒編集

創建は天慶年間(938-947年)、平貞盛が戦勝祈願のために軻遇突知命の神霊を勧請したという[7]

戦国時代、土浦城主となった菅谷伊豫守勝貞が崇敬し、祭礼を行った。

江戸時代、寛文9年(1669年)に土屋数直が土浦城主になると、愛宕神社を表鬼門の守護とするために奉斎し、社殿等を改築したという[4]。土屋数直の奉斎を延宝7年(1679年)とする資料がある[2]

元禄12年(1699年)に社殿が焼失し、文化8年(1811年)に現存の社殿を再建した。大棟には土屋氏の家紋である三ツ石紋が配されている[4]

明治15年4月(1882年)、村社に列格した。

文化財編集

愛宕神社本拝殿
  • 土浦市指定有形文化財。平成13年3月1日(2001年)指定。
  • 茅葺・入母屋屋根の、本殿と拝殿が一体化した複合社殿である。
  • 茅葺屋根を維持している社殿は土浦市内では希少であり[4]、葺替事業の奉賛者の名前を記した額が側面に掛かっている。

周辺編集

土浦市内の愛宕神社編集

愛宕神社[8]
  • 土浦市西真鍋町4番地47。
  • 祭神・軻遇突知命。
  • 創建は不詳。旧無格社。境内は真鍋愛宕神社古墳、西真鍋遺跡でもある。
  • 表参道は国道125号(本来は一つ東の旧道)に面しているが、東日本大震災により幅の狭い石段が崩落したため、入口がバリケードで閉鎖されている。神社自体が閉鎖されているわけではなく、隣接する真延寺、もしくは西側の畑にある裏参道から参拝可能。
愛宕神社[9]
  • 茨城県土浦市小山崎町623番地(旧新治郡小山崎村)。
  • 祭神・軻遇突知命。
  • 創建は宝暦11年(1761年)。旧無格社。道知集落の岩瀬市郎衛門が、氏神として岩間泉愛宕神社を勧請、後に現地に遷座した[9]
  • 街道沿いにある下高津や西真鍋町と異なり、畑中にある農村の神社で、鬱蒼とした深い鎮守の森を持つ。

脚注編集

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  1. ^ 新編常陸国誌、信太郡下高津の項。
  2. ^ a b 土浦市「土浦古絵図ぶらりまち歩きマップ」(PDFファイル)、2頁。2016年3月9日閲覧。
  3. ^ 改築事業を記念する石碑がある。
  4. ^ a b c d 文化財解説。
  5. ^ a b 茨城県神社写真帳。
  6. ^ 神社データベース神羅や文化財解説にも軻遇突知命以外の祭神についての言及がない。
  7. ^ 神社データベース神羅愛宕神社。2013年11月3日閲覧。
  8. ^ 神社データベース神羅愛宕神社(西真鍋町)。2013年11月3日閲覧。
  9. ^ a b 神社データベース神羅愛宕神社(小山崎町)。2013年11月3日閲覧。

参考文献編集