懈怠
懈怠(けだい、けたい)(梵: kauśīdya、カウシーディヤ)は仏教の煩悩のひとつ[1]。悪を断ち切り、善を修する努力を尽くしていないこと[1]。心が果敢でないこと[2]。怠惰であること[2]。
『阿毘達磨倶舎論』では、五位七十五法のうち大煩悩地法の一つ[1]。『大乗百法明門論』によれば随煩悩位に分類され、そのうち大随煩悩である。
脚注
編集出典
編集- ^ a b c 中村 et al. (1989), p. 225.
- ^ a b 櫻部 & 上山 (2006), p. 114.
参考文献
編集- 中村, 元、田村, 芳朗、福永, 光司 ほか 編『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年12月5日。ASIN 4000800728。ISBN 4-00-080072-8。 NCID BN0406760X。OCLC 673928808。全国書誌番号:90017619。
- 櫻部, 建、上山, 春平 著、塚本, 善隆 編『仏教の思想』 2巻《存在の分析〈アビダルマ〉》、角川書店〈角川ソフィア文庫〉、2006年(原著1969年2月)。ASIN 4041985021。ISBN 4-04-198502-1。 NCID BA50286485。OCLC 1183345147。全国書誌番号:97015174。