成生(なりゅう)は、日本海軍敷設艇測天型敷設艇の4番艇[1]

艦歴
計画 ③計画
起工 1939年3月24日
進水 1939年8月28日
就役 1940年6月20日竣工
その後 1945年2月16日戦没
除籍 1945年4月10日
性能諸元
排水量 基準:720トン、公試:750トン
全長 74.70m
全幅 7.85m
吃水 2.60m
機関 マン式三号ディーゼル2基2軸
3,600馬力
速力 20.0kt
航続距離 14ktで2,000
燃料 重油:35トン
乗員 74名
兵装 40mm連装機銃1基2挺
13mm連装機銃1基2挺
爆雷36個、捕獲網8組
(もしくは九三式機雷120個)

艦歴

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1940年(昭和15年)6月20日三菱横浜船渠にて竣工、舞鶴鎮守府籍。開戦時は大阪警備府の指揮下で同方面の哨戒など実施。その後も大阪紀伊半島日本海方面で船団護衛などに従事した。1944年8月1日横須賀鎮守府部隊に編入され以後は父島方面の船団護衛などに従事、1945年1月より串本を拠点として対潜哨戒に従事する。2月16日潮岬沖で米潜セネットの雷撃で沈没した。4月10日に除籍。

艇長

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艤装員長
  • 金井博 少佐:1939年12月20日[2] - 1940年3月1日[3]
  • (兼)塚田重夫 大尉:1940年3月1日[3] - 1940年5月1日[4]
  • 塚田重夫 大尉:1940年5月1日[4] -

同型艦

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脚注

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  1. ^ 竣工順では4番目。仮称艦番では3番目。
  2. ^ 海軍辞令公報(部内限)第420号 昭和14年12月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077300 
  3. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第447号 昭和15年3月2日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077800 
  4. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第472号 昭和15年5月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072078000 

参考文献

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  • 雑誌『』編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇Ⅱ』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0464-4
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。