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戸倉 緑子(とくら みどりこ、1936年 - )は、日本ファッションモデルであり、1956年昭和31年)のミス・ワールド・ジャパン(ミス・ワールド日本代表)である。1951年に始まった国際的な美人コンテストであるミス・ワールドに日本が初めて送った代表であり、世界大会で第4位に入賞した。戸倉の順位は、現在に至るまで歴代ミス・ワールド・ジャパンの最高順位である。

来歴・人物編集

山口県下関市出身[1]1955年からFMGに所属し、ファッションモデルとして活動した[2]。1956年(昭和31年)9月、20歳のとき、ミス・ワールドの日本大会に東京都代表として出場し[1]、初代のミス・ワールド日本代表に選ばれた[2]。同年10月にイギリスロンドンで行われた第6回ミス・ワールド世界大会に日本代表として初めて参加し、優勝したドイツペトラ・シュルマンらに次いで「第3位」(ミス・ワールドを含めると4番手評価で、事実上は第4位)に入賞した。BOACの故障で荷物の到着が7日も遅れ、毎晩同じ着物でパーティーに出なければならず、5日目には泣き出してしまったという[2]。当時は身長165cm、体重54kg、スリーサイズは85-53-90cmであった[2]。その後もファッションモデルとして活動した[2]

脚注編集

  1. ^ a b ミス・ワールド第六回(1957年度)戸倉緑子『中部日本新聞』1959年6月8日夕刊3面
  2. ^ a b c d e 戸倉緑子 思い出の記『週刊サンケイ』1959年7月臨時増刊号 ミス・ユニバース ワールド 美の祭典 33頁、70頁、33頁、33頁、33頁