戸張 瀧三郎(とばり たきさぶろう、1866年 - )は、日本柔道家。号は柳歸斎。

とばり たきさぶろう

戸張 瀧三郎
生誕 1866年3月??
(慶応二年)
武州、戸塚村
国籍 日本の旗 日本
別名 高橋瀧三郎
職業 柔道家、柔道整復師
流派 講道館柔道天神真楊流、戸張流
花押
テンプレートを表示

経歴 編集

 
柳歸斎の印

1865年(慶応二年[注釈 1])に武州戸塚に生まれる。江戸に出て各流派を学ぶ。

1894年(明治27年)に天神真楊流の免許皆伝を受けた。

1907年(明治40年)外遊し、欧州の地を五年間遍歴した[1]。この間にオーストリアの医学博士ドクターヨハネに私淑しハイルギムナスチク術を学んだ[1]

帰郷後に大阪府大阪市北区に移り、関西で講道館柔道と天神真楊流を教えていた。

接骨検定大阪阪府第一回の試験に合格し、堂島ビル及び自邸の診療所に整骨院を開いた。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 中野銀郎著『接骨學會紳士録』には慶應元年生まれと書かれている。 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版』では慶應元年3月10日となっている

出典 編集

  1. ^ a b 中野銀郎著『接骨學會紳士録』接骨學會事務局,1936年

参考文献 編集


関連項目 編集