折小野良一
折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日[1] - 1986年10月20日[1])は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期)、延岡市長(2期)。
折小野良一 おりおの りょういち | |
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生年月日 | 1919年1月25日 |
出生地 |
日本 鹿児島県薩摩郡宮之城町 (現・さつま町) |
没年月日 | 1986年10月20日(67歳没) |
出身校 | 京都帝国大学法学部卒業 |
前職 | 延岡市助役 |
所属政党 | 民主社会党/民主党 |
称号 |
正五位 勲三等旭日中綬章 |
選挙区 | 旧宮崎1区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 |
1967年1月29日 - 1969年12月2日 1972年12月10日 - 1976年12月9日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1960年4月19日 - 1966年12月1日 |
経歴
編集鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身[1]。1935年旧制宮崎県立妻中学校(現:宮崎県立妻高等学校)卒業[2]。1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)卒業[2]。1941年京都帝国大学法学部卒[1][2]。延岡市総務課長を経て、同市長三浦虎雄によって助役に起用。1960年の延岡市長選挙に立候補。現職の青木善祐を1139票差で破り初当選。延岡市長を戦後初めて2期務める。1965年、助役に房野博(後に延岡市長)を起用。1966年、衆議院議員総選挙立候補のため延岡市長退任。1967年の第31回衆議院議員総選挙宮崎1区に民主社会党から出馬し、初当選。1969年の第32回衆議院議員総選挙では、落選。1972年の第33回衆議院議員総選挙で返り咲く。1976年の第34回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界引退。1986年10月20日死去、67歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正八位から正五位に叙される[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年)
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
公職 | ||
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先代 第11代:青木善祐 |
延岡市長 第12-13代:1960年 - 1966年 |
次代 第14-16代:房野博 |