拓跋 建(たくばつ けん、生年不詳 - 452年)は、北魏皇族。広陽簡王。

経歴

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北魏の太武帝と伏椒房のあいだの子として生まれた。442年太平真君3年)10月[1]、楚王に封じられた。450年(太平真君11年)[1]、太武帝が南征の軍を起こすと、拓跋建は一軍を率いて鍾離に進出した。451年正平元年)12月[1]、広陽王に改封された。452年興安元年)11月癸未[2]、死去した。同日に臨淮王拓跋譚も死去しており、文成帝の粛清によるものではないかとみられている。は簡王といった。

子女

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  • 拓跋石侯(後嗣、広陽哀王)
  • 元嘉(広陽懿烈王)

脚注

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  1. ^ a b c 魏書』太武帝紀下
  2. ^ 『魏書』文成帝紀

伝記資料

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