摩羅難陀(まらなんだ)は、はじめて百済仏教を伝えたという西域またはインド出身の[1]

摩羅難陀
生没年不詳
生地 西域[1]
インド[1]
没地 不詳
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人物 編集

三国史記』によると、枕流王元年(384年)に中国東晋から百済に渡った[1]百済の枕流王は摩羅難陀を宮中に迎え入れ礼敬を致し、翌年(385年)に漢山に仏寺を創建し、10人の僧を得度して住まわせたとされている[1]。『晋書』は太元9年(384年)7月の百済の朝貢を伝えており、摩羅難陀の渡来は、この朝貢使の帰国に付随したものとみられる[2]。しかしながら、これらの所伝は疑問視されており、百済の仏教受容は6世紀初頭とする見解が有力である[1]末松保和は、百済仏教の384年渡来説をやや早きに過ぎると疑っており、『日本書紀』推古三十二年条に引かれた百済僧観勒上奏文に、・百済・日本の仏教初伝年次にふれた叙述があることに着目し、この一節の解釈から、百済仏教の伝来年次を推古三十二年(624年)より100年前の524年頃と推定した。末松保和の主張は、妥当な見解として現在も多くの学者から支持されている[2]。百済が漢城に都した時代(371年から475年)に属する仏教関係遺物遺跡が皆無であり、文献史料の乏しいことも、末松保和の主張を支持する有力な証左とみなされている[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f 世界大百科事典摩羅難陀』 - コトバンク
  2. ^ a b c 薗田香融 (1989年3月). “東アジアにおける仏教の伝来と受容”. 関西大学東西学術研究所紀要 (22) (関西大学東西学術研究所): p. 7