放牧馬 (フランツ・マルクの絵)

放牧馬(ほうぼくば、ドイツ語: Weidende Pferde英語: Grazing Horses)は、ドイツの画家フランツ・マルクの連作絵画である。1910年から1911年にかけて完成され、同時期に成立した絵画『青い馬I』とともに、写実的な彩色から表現主義への過渡期を跡付けるものとなっている。

前史

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風景の中の牧馬というモチーフにおいて、マルクの独自様式への進展をしっかりと後追いすることができる。マルクは3年間にわたって、1911年の『赤い馬』によって自分の独特な表現主義的な作風に辿り着くまで、このモチーフで描き続けた。

『大きな馬の図、レングリースⅠ』
 

マルクは1908年に、後に妻となるマリアとレングリースに滞在した際、牧馬の絵に取り掛かった。マリアは後にこう述べている。

夫はいつも馬を追いかけて観察していました。本人は“暗記”だと申してましたが。それからイーゼルに戻って描き続けたのです。 (Er ging immer den Pferden nach, beobachtete sie und ‚lernte auswendig‘, wie er das nannte, – dann kehrte er zur Staffelei zurück und malte weiter.) — マリア・マルク、1942年2月25日付の私信

同1908年、縦約1メートル・横約2メートルの大作絵画『大きな馬の図、レングリースⅠ (Großes Pferdebild Lenggries I)』(個人蔵)が完成している。絵は、4頭の比較的密集している馬の群れを部分的に切り取ったものである。1909年に成立した『大いなる風景Ⅰ ( Große Landschaft I)』や『小馬の図 (Kleines Pferdebild)』も、『レングリースⅠ』と似たような配置の牧馬を描き出している。

1910年にマリアとジンデルスドルフに移住した後、マルクは、馬の絵を描くのに必要とした巨大なカンバスを片付けられるように、牧草地に物置小屋を建てた。だが同年完成させた絵画をいくつか、マルクは破棄してしまう [1]。1910年から翌年にかけて、マルクは『放牧馬』のいくつかの図を創り出すのであった。

放牧馬Ⅰ

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『放牧馬Ⅰ』
 
作者フランツ・マルク
製作年1910年
寸法64 cm × 94 cm (25 in × 37 in)
所蔵レンバッハハウス美術館ミュンヘン

『放牧馬』の第1の図は1910年に成立し、油絵具カンバスに描かれている。本作は高さ64cm、幅94cmである。ミュンヘンレンバッハハウス美術館のコレクションの一枚となっている[1]

本作は、うねうねとした景色の中にいる4頭の馬の群れを描き出している。馬が画面の大部分を占めている。馬は写実的に造形されているのに対して、風景は黄色とを基調とする落ち着いた色の、曲がりくねった土地として示唆されている。絵の後景は、とを基調にして描かれている。

動物の体の写実的な造形は、マルクの熱心な自然研究を表している。だが本作は、リズミカルな配置や構図の統一性を得ようとする努力も見受けられる。絵の後景で、1頭の馬が景色の彼方を見上げており、群れから浮き上がりつつも改めて周囲と結びつけられている。

放牧馬Ⅱ(断片)

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『放牧馬Ⅱ(断片)』
 
作者フランツ・マルク
製作年1910年
寸法34 cm × 92,5 cm (13 in × 364 in)
所蔵シュトゥットガルト州立美術館シュトゥットガルト

『放牧馬』第2図は、高さわずか34cm、幅92.5cmの断片である。第1図と同じく1910年完成で、油絵具でカンバスに描かれている。本作はシュトゥットガルト州立美術館のコレクションの一枚である[2]

絵の構成や彩色は、第1図の実質に対応している。

放牧馬Ⅲ

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『放牧馬(放牧の馬たち)』
 
作者フランツ・マルク
製作年1910年
所蔵個人蔵

『放牧馬』の第3図もまた1910年完成で、油絵具でカンバスに描かれている。本作は個人蔵からデュッセルドルフ新時代画廊 (Düsseldorfer Galerie der Neuzeit) が入手するが、1937年になると、ナチスの文化政策の観点によって美術品取引における困難さのために譲渡され、こんにち再び個人蔵に戻っている[1]

本作は第1図の実質に対応している。色使いは、しかしながら本質的により濃密でより対比が際立っており、太い筆触によって平たく塗り付けられている。

本作は、2008年にサザビーズによってオークションにかけられた際に最高額1650万ユーロに到達した [3]

放牧馬Ⅳ(赤い馬)

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『放牧馬Ⅳ 別名:
赤い馬)』
 
作者フランツ・マルク
製作年1911年
寸法121 cm × 183 cm (48 in × 72 in)
所蔵ブッシュ=ライシンガー美術館(ハーバード美術館群)、マサチューセッツ州ケンブリッジ

1911年に完成した『放牧馬』第4図は、『赤い馬 (Die roten Pferde)』の別名でも呼ばれており、やはり油絵具でカンバスに描かれている。本作は高さ121cm、幅183cmである。マサチューセッツ州ケンブリッジハーバード美術館群の一つ、ブッシュ=ライシンガー美術館の所蔵品である[4]

本作は1911年秋にミュンヘンタンハウザー美術館の展覧会に展示された。同年11月、美術蒐集家のカール・エルンスト・オストハウスが本絵画をハーゲンフォルクヴァンク美術館のために買い入れた。ナチス1937年に本作を「退廃芸術」としてコレクションから切り離し、スイスの画廊に買い取らせた。外交官で美術蒐集家のパウル・ガイガーが本絵画を1939年に買い入れた。ガイガー没後の1981年、ガイガー未亡人のガブリエーレが本作を相続すると、1991年よりブッシュ=ライシンガー美術館に賃貸で託した。本作は2014年に最終的に、ガイガー未亡人の遺産から同美術館に委譲された[4]

本絵画は、絵の構図や彩色の点で、はっきりと先行例と区別がつく。マルク自身は本作について、その完成時期に次のように書き記した。

僕はまだ3頭の馬がいる風景の絵を,まったく色とりどりに隅から隅まで手を入れていて、馬は三角形に並べている。色のことは言い表しにくい。地面はきれいな朱色、そばにはきれいなカドミウムコバルトブルー深緑臙脂色(が並び)、馬は黄土色から菫色まで(で描いている)。 (Ich habe noch ein großes Bild mit 3 Pferden in der Landschaft, ganz farbig von einer Ecke zur anderen, angefangen, die Pferde im Dreieck aufgestellt. Die Farben sind schwer zu beschreiben. Im Terrain reiner Zinnober neben reinem Kadmium und Kobaltblau, tiefem Grün und Karminrot, die Pferde gelbbraun bis violett.) — フランツ・マルク、1911年2月2日、マリア・フランク宛ての私信

完成された絵を見ると、馬はけばけばしいで描かれている。初期の3例では4頭の馬の並びが、むしろ思いがけず自然に効果を上げているのに対して、(本作の)3頭の真っ赤な馬の並びとポーズは、明らかに構成上のもくろみに応じており、三角形に配置されている。彩色法はもはや写実的ではなく、表現主義美術で頻繁に駆使されたような「表現色 (Ausdrucksfarben)」が作用している。

参考画像

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  1. ^ a b c "Weidende Pferde I von Franz Marc". lenbachhaus.de (ドイツ語). Städtische Galerie im Lenbachhaus. 2020年2月27日閲覧
  2. ^ "Weidende Pferde II". akg-images.de. 2020年2月27日閲覧
  3. ^ "London: Bei Sotheby's erzielt Gemälde von Franz Marc neuen Rekordpreis". ShortNews. 6 February 2008. 2014年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月18日閲覧
  4. ^ a b "Grazing Horses IV". harvardartmuseums.org (英語). Harvard Art Museums. 2021年10月21日閲覧

外部リンク

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