文孝世子

李氏朝鮮の王族。正祖の王子

文孝世子(ぶんこうせいし、ムニョセジャ、문효세자乾隆47年9月7日1782年10月13日) - 乾隆51年5月11日1786年6月6日))は、李氏朝鮮第22代国王正祖宜嬪成氏の息子。名は(日偏に享)(スン、)、諡号は文孝。

文孝世子
各種表記
ハングル 문효세자
漢字 文孝世子
発音: ムニョセジャ
日本語読み: ぶんこうせいし
ローマ字 Crown Prince Munhyo
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乾隆49年(1784年7月2日に正式に世子に冊封されたが、乾隆51年(1786年)5月11日にわずか5歳で夭折する。

一説によると、死因は麻疹とされる。