新庄直房

日本の安土桃山時代~江戸時代前期の武士。江戸幕府旗本。常陸麻生藩初代藩主新庄直頼四男。従五位下美作守。目付・御小姓組頭・御書院番頭等を歴任

新庄 直房(しんじょう なおふさ、文禄4年(1595年)- 慶安2年10月22日1649年11月26日)は、江戸時代前期の旗本寄合新庄直頼の4男。兄に直定直綱秀信、姉妹に柴田某室。官位は従五位下美作守。子に直時直徳

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいて父直頼は西軍に与したため、徳川家康から改易されて、その身柄は蒲生秀行預かりとなったが、後に罪を許されて、常陸麻生に3万石の所領を与えられ初代藩主となった。慶長18年(1613年)9月27日、父の遺領のうち3000石を分与され、徳川秀忠に仕える。寛永7年(1630年)12月29日、従五位下美作守に叙任される。寛永9年(1632年)5月使番となり、11月に目付となる。寛永10年(1633年)2月26日、1000石を加増され、都合4000石となる。寛永12年(1635年)11月1日小姓組頭となり、寛永13年(1636年)9月10日書院番頭となる。

次男の直時は宗家の新庄直好の婿養子となり麻生藩4代目・6代目藩主となった。