新日本建設運動
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新日本建設運動(しんにほんけんせつうんどう)とは
を言う。本項では 1.について解説する。
概要
編集昭和初期の昭和恐慌を背景として1932年(昭和7年)頃に国家主義団体は(日本主義)国粋主義を原理とした新日本建設運動を推進した。積極的な政治運動、社会運動、革新運動であった。
二つの評価
編集「新日本建設運動としての日本主義」(内務省警保局編「出版警察報」52号95頁)は
- 「左翼陣営に属する論者や、自由主義の論者は或いは之を目して日本帝国主義と看做し、或いはファシズムなりと言ひ、或は民族主義なりと称して居る。」
- 「日本主義は帝国主義なり」「日本主義を以てファショなりとする見解」は「其の本質を説明して居るものとは言ひ得ない。」とし、さらに岡本永治(「日本主義の本質的意義」)から引いて「日本主義」は「天皇中心の体系化事実の観念的把握」
としている。
昭和初期の主な論
編集昭和初期の主な運動団体
編集参考文献
編集- 内務省警保局『社会運動の状況(昭和7年下)』
- 内務省「新日本建設運動としての日本主義」内務省警保局編「出版警察報」52号95頁。