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新潟・市民映画館シネ・ウインド(にいがた・しみんえいがかんシネ・ウインド)は、新潟県新潟市中央区万代シテイにある映画館ミニシアターコミュニティシネマ)である。1985年12月7日に開館した。

新潟・市民映画館シネ・ウインド
CINE WIND
RZ Cine Wind 2019-04 E.jpg
情報
正式名称 新潟・市民映画館シネ・ウインド
完成 1985年
開館 1985年12月7日
開館公演 アラビアのロレンス
客席数 64席+車いすスペース
設備 DLP35mm映写機ドルビーデジタル7.1ch
用途 映画上映
運営 有限会社新潟市民映画館(管理)
新潟・市民映画館鑑賞会(運営)
所在地 950-0909
新潟県新潟市中央区八千代2-1-1
万代シテイ第二駐車場ビル1階
最寄駅 新潟駅万代口
最寄バス停 新潟交通「万代シティ」停留所
外部リンク https://www.cinewind.com/

「新潟・市民映画館鑑賞会」という会員制度を持っている。「有限会社新潟市民映画館」が管理・事務局機能を担い、「新潟・市民映画館鑑賞会」が運営を担当する。「新潟・市民映画館シネ・ウインド」とは、これら二つの組織の総称であり、劇場名でもある。代表は齋藤正行、支配人は井上経久(2009年10月より)。2015年(平成27年)12月に開館30年を迎えた。

なお本項では会報『月刊ウインド』や「安吾の会」についても記述する。

歴史編集

 
シネ・ウインドのこけら落としを飾った映画『アラビアのロレンス』(1962年)主演のピーター・オトゥール

1985年(昭和60年)3月、新潟市古町の名画座であるライフが閉館。『新潟日報』紙に映画評を連載していた映画評論家の荻昌弘は「ライフ」の閉館を惜しみ、「新潟市民の損失は、はかりしれない」[1]と記した。それを受けて、「なくなったら自分たちでつくればいい」と立ち上がったのが、当時印刷会社に勤務していた齋藤正行だった[2]。 市民参加と市民出資による独自の新しい映画館をつくるため、同年5月に「新潟・市民映画館建設準備会」を発足。映画上映会を開催し、会員数5000人を目標に、1口1万円の会費を呼び掛けた[2]、同年12月7日、常設の映画館である新潟・市民映画館シネ・ウインドが開館した。最初の上映作品は『アラビアのロレンス』。

1992年(平成4年)に完成した佐藤真監督のドキュメンタリー作品『阿賀に生きる』では、シネ・ウインドは制作段階から様々な形で関わっている。同年には同作の製作記録が、書籍『焼いたサカナも泳ぎだす 映画「阿賀に生きる」製作記録』としてまとめられている。

1999年(平成11年)に公開された手塚眞監督の映画『白痴』(原作:坂口安吾)の製作にあたっては、シネ・ウインドが重要な役割を果たした。『白痴』製作に関わった人々の動きは、「白痴」の記録編纂委員会によって書籍『映画が街にやってきた「白痴」制作・新潟の2000日物語』(新潟日報事業社発行)としてまとめられている。映画『白痴』は、1999年(平成11年)10月30日から翌2000年9月1日までの44週にわたって[3]シネ・ウインドで公開された。安吾の没後60年やシネ・ウインドの開館30年目にあたる2015年(平成27年)2月、シネ・ウインドで開催された「安吾映画祭2015」において、35mmフィルムで『白痴』が上映された[4]

2005年(平成17年)11月1日には、新潟日報社が主催する新潟日報文化賞を受賞した。2007年(平成19年)には『月刊ウインド』250号を記念し、新潟県の映画館史と観客の記憶を集大成した『街の記憶 劇場のあかり 新潟県 映画館と観客の歴史』を編集・発行した。

2012年(平成24年)11月23日から2千万円を目標として、「デジタルシネマ設備募金プロジェクト」を実施した[5]。2013年(平成25年)3月31日の募金活動終了までに1931万8637円の募金を集め、この資金によって同年6月29日、デジタルシネマの上映をスタートした[6]。なお、35mmフィルムの上映環境も維持している。

2015年(平成27年)9月4日・5日、「全国コミュニティシネマ会議2015in新潟」を、一般社団法人コミュニティシネマセンターとともに開催した[7]

2016年(平成28年)4月よりシネ・ウインド31周年祭実行委員会のプロジェクト活動がスタートした。新潟大学映画倶楽部を中心とした大学生スタッフにより、キネマ談話室、月ムビなど映像による情報発信に取り組んでいる。

運営編集

運営は会員の手により行われている。会報『月刊ウインド』の編集・発行、上映作品の選定をはじめ、映画関係の資料の保管・管理などに会員の有志が活動している。毎年11月には「周年祭」が開かれる。

シネ・ウインドは、発足時から市民一人ひとりが参加する「会員制度」を運営の基盤に置く。公式ホームページには「どこからもバックアップのない民間団体であり、入場料収入や年会費で成り立っており、会員制度は大きな支えです」と書かれている[8]。会員は上映作品を「会員価格」で鑑賞できるだけでなく、運営に関するさまざまな活動に、スタッフとして参加できる。毎月第2火曜日に、「月間ミーティング」(運営に関する検討)を行う。なお、9月の第2火曜は年度ごとの活動総括、新年度の方針を討議する、「新潟・市民映画館鑑賞会総会」として開かれる。

映画・俳優・芸術などに関する約2万冊の書籍、上映作品などのパンフレットが所蔵されている。会員に対する貸し出しも行っている。

特色編集

月刊ウインド編集

「新潟・市民映画館鑑賞会」が発行する、「シネ・ウインド」の会報。毎月1日発行。

編集は会員スタッフで構成する『月刊ウインド』編集部が担当。会員に配布されるほか、新潟市内の書店などでも販売されており、会報であるとともに映画館の広報ツールともなっている。「シネ・ウインド発 文化フォーラムマガジン」と題し、上映スケジュール、作品紹介のほか、イベントのレポート、映画にとどまらない幅広い内容となっている(大阪の天満天神繁昌亭支配人・恩田雅和やコラムニスト・えのきどいちろうも、連載エッセイを寄稿)。

創刊は1985年11月14日と、映画館のオープンよりも早かった[9]。創刊時はB5サイズ16頁。少しずつページが増え、現在はB5サイズ32頁。毎年11月号は周年祭特集号として増ページ。

安吾の会編集

安吾の会(あんごのかい)は、新潟市出身の作家・坂口安吾を偲び、その世界観を後世に伝えることを目的に、1987年に結成された。シネ・ウインド代表の齋藤正行は同会の世話人代表を務めており、会の事務局は「シネ・ウインド」内に置かれている。

会報『安吾雑報』を編集発行。また不定期に「安吾探索ノート」を刊行している。

毎年10月に新潟市で開催される「坂口安吾生誕祭」には、実行委員会の一員として運営に関わっている。また、安吾の命日である2月17日には、毎年東京都内と新潟市秋葉区(旧新津)ほかで「安吾忌」が開かれるが、新潟市での「新潟安吾忌」は、同会が主催している。

その他編集

  • シネ・ウインドは、映画はもちろん、文化や街づくりなど、非営利事業を積極的に進めている。関わりのあるもの(関わりのあったもの)を挙げると、
    にいがた国際映画祭、にいがた映画塾、にいがたロケーションネットワーク、コミュニティシネマ長岡、新潟市青年ネットワーク、にいがた花絵プロジェクト、新潟若手商人塾、新潟NPO協会、自殺防止に関わる有志による冊子「死ぬな!」の発行(編集長は齋藤正行)、「まちなかの文学を歩く会」、「舞踊家井関佐和子を応援する会 さわさわ会」、など。
  • 開館記念月は12月だが、その前月にあたる毎年11月に、「周年祭」を開催している。期間中は特別プログラムが上映されるほか、市内のホテルでパーティーを開き、各方面で活動する人々の交流の場となっている。
  • 2013年(平成25年)12月、Niigata Interview Magazine LIFE-Mag. vol.007【新潟・市民映画館 シネ・ウインド編】が発行。シネ・ウインドができるまでを記録した「シネ・ウインド日記」(2004年発行『別冊・あ・の・ね』掲載)が再録されているほか、編集人・小林弘樹がシネ・ウインドの立ち上げから現在までを取材している。

脚注編集

  1. ^ 「荻昌弘の週間映画館」『新潟日報』1985年3月2日、朝刊、11面
  2. ^ a b 鳥塚新 (2015年12月25日). “市民シネマ 原点は「安吾」”. 読売新聞 (読売新聞社). http://www.yomiuri.co.jp/local/niigata/feature/CO020651/20151224-OYTAT50013.html 2016年2月1日閲覧。 
  3. ^ 『新潟日報』2000年9月8日、朝刊、14面
  4. ^ 『月刊ウインド』2015年2月号、p. 7
  5. ^ 『月刊ウインド』別冊「私たちはいかにしてデジタルシネマ化を成しとげたか」pp. 3-4、p. 6
  6. ^ 『月刊ウインド』別冊「私たちはいかにしてデジタルシネマ化を成しとげたか」表紙、pp. 9-10
  7. ^ 全国コミュニティシネマ会議2015 一般社団法人コミュニティシネマセンター
  8. ^ 公式ホームページ内、「シネ・ウインドとは」より
  9. ^ 『街の記憶 劇場のあかり 新潟県 映画館と観客の歴史』、齋藤正行による「はじめに」より

外部リンク編集