ミニシアター
ミニシアター (mini theater) は、日本の映画館のうち、ブロックブッキングなどによる大手映画会社の直接の影響下にない独立的なものを指す呼称である。旧来の「単館系」を含む。

一般に、定員200人程度までの小さい映画館であることが「ミニ」という名称の由来である。2015年現在、多くのシネマコンプレックス(シネコン)においては「定員200人クラスのスクリーン」は標準サイズであるが、「ミニシアター」という用語が出現した当時、特に首都圏においては、定員500人級ないし1,000人級というスクリーンが標準であったため、それと対比して「ミニ」と称された。ただし、後述のとおりあくまで運営形態などを指すものであり、館の規模だけによる分類ではない。例えば、ピンク映画や日活ロマンポルノを上映する成人映画館でも、特にこれらが活発に公開されるようになった1970年代以降に開業した映画館では200人以下の規模の施設が多いが、一般的にはミニシアターとは呼ばれず、まれに小劇場と呼ぶことがある。
上映作品は都市部の場合、映画館が決めた方針によって上映される映画のジャンルが決まっていることが多い。しかし、地方では映画館の館数が少ないこともあり都市部でヒットした作品を後で上映したり、名画座的な興行の間に新作を入れる程度のミニシアターや、シネコンで1スクリーン程度を常時割り当てている地域限定展開のシネコンなどもある。
歴史編集
1968年に設立された岩波ホールの総支配人だった高野悦子と、彼女を支えた東宝東和の川喜多かしこが、1974年にエキプ・ド・シネマ(フランス語で「映画の仲間」の意)をスタートし、ロードショー公開されない世界中の良作を上映する運動を始めたことがミニシアターの始まりである[1]。
これに先立つ1973年11月に三越が日本橋本店の南館内に名画座の三越映画劇場第一号館を作り[2][3][4]、以降チェーン化され、全国複数の三越店舗内にミニシアターが建設された[2][3][4][5][6]。三越映画劇場は東映社長の岡田茂が、同姓同名で仲の良かった三越社長の岡田茂に建設を提案したもので[2]、東映の岡田は『キネマ旬報』1972年10月上旬号のインタビューで「私はミニ・シアター・システムを考えている。映画館のない都市、盛り場に八十坪でも百坪でもいいからミニ・シアターを作るんだ。もちろん映写はオートマチック。失われた映画館の復活だ。これをチェーン化してやればいい。独立プロの連中が苦しんでいるのは興行部門がないからなんだ。だからこそミニ・シアター・チェーンの意味も出てくるのだ」[7]と話すなど、当時の複数の文献で「ミニ・シアター・チェーン」構想を述べており[8][9][10]、実際に東映でも1979年4月に東映シネマサーキット (TCC)という「ミニ・シアター・チェーン」を発足させている[11][12][13][14]。
原正人は「ミニシアターの先駆は何と言っても(自身が設立に関与した)シネマスクエアとうきゅう(1981年12月11日開館)ですよ」と述べている[15]。シネマスクエアとうきゅうを建設したのは、当時東急レクリエーション社長を兼ねていた岡田茂東映社長であった[16]。
1980年代中盤にヌーヴェルヴァーグの作品群や『ニュー・シネマ・パラダイス』『ベルリン・天使の詩』などのヨーロッパ映画が上映され、ミニシアターブームと呼ばれる現象が生まれた。現在でもこれらに近い系統の主に女性向けの映画が多く上映される傾向にある。
一般的に「ミニシアター=単館上映」と捉えられがちだが、2003年頃から、複数の映画館で一斉に封切られるミニシアター作品も増えてきた。加えて、2006年頃から生じ始めたシネコン間の競争の中で、ミニシアター系と分類される作品を上映するシネコンが増加し、最終的に上映館が150館という映画も存在している。例として『誰も知らない』(是枝裕和監督、2004年)などが該当する。平均的には、全国展開のシネコンチェーンで公開されるなどして、30 - 40スクリーンで公開する作品も多く、それらも一般的には「ミニシアター系」と分類されるため、従来から使われている「単館系」「全国拡大系」といった分類は曖昧なものとなっている。加えて2007年以降、「ミニチェーン」「単館拡大系」と呼ばれる公開形態も現出するようになった。
シネコンでミニシアター作品が上映されるようになり、さらには、配給会社とシネコンとの力関係その他の事情により、「その地域ではシネコンでしか上映しないミニシアター作品」もあらわれるようになった。その結果、シネコンとミニシアターの棲み分けが崩れつつあり、それが、旧来のミニシアターの興行や経営に影響を与えるようになってきた。また、若者のミニシアター離れも重なり、2010年頃からミニシアターの閉館が続いた[17]。
2020年6月、「アップリンク」の元従業員5名が同社の取締役社長・浅井隆から日常的にパワーハラスメントを受けていたとして損害賠償を求める訴訟を起こし、11月には「ユジク阿佐ヶ谷」の元スタッフ数名が経営陣からハラスメントを被っていたことを告発した[18]。こうしたミニシアターで起きるパワハラ問題について、映画愛を口実にしたやりがい搾取が起きやすいと組織的構造上の欠点を指摘する意見もある[18]。
日本各地のミニシアター編集
現在、東京では渋谷に多くの単館系のミニシアターが集まっている[19][20]。
北海道地方編集
北海道編集
東北地方編集
青森県編集
岩手県編集
宮城県編集
山形県編集
福島県編集
関東地方編集
茨城県編集
群馬県編集
埼玉県編集
千葉県編集
東京都編集
- 角川シネマ有楽町(千代田区)※旧「シネカノン有楽町1丁目」
- ヒューマントラストシネマ有楽町(千代田区)※旧「シネカノン有楽町2丁目」、2009年12月に館名変更。
- 有楽町スバル座(千代田区)
- 岩波ホール(千代田区)
- 神保町シアター(千代田区)
- シネスイッチ銀座(中央区)
- 新宿武蔵野館(新宿区)
- シネマート新宿(新宿区)
- シネマカリテ(新宿区)
- テアトル新宿(新宿区)
- K's cinema(新宿区)
- EJアニメシアター(新宿区)
- 早稲田松竹(新宿区)
- 飯田橋ギンレイホール(新宿区)
- キネカ大森(品川区)
- 目黒シネマ(品川区)
- キネマフューチャーセンター(大田区)
- 東京都写真美術館ホール(目黒区)
- 下北沢トリウッド(世田谷区)
- 下高井戸シネマ(世田谷区)
- ル・シネマ(渋谷区)
- ヒューマントラストシネマ渋谷(渋谷区)※旧「アミューズCQN」、2008年12月に館名変更。
- ユーロスペース(渋谷区)
- アップリンクファクトリー/UPLINK-X(渋谷区)
- シアター・イメージフォーラム(渋谷区)
- 渋谷HUMAXシネマ(渋谷区)※旧「シネマGAGA!」、2008年12月に館名変更。
- シネクイント(渋谷区)
- シネマヴェーラ(渋谷区)
- EBISU GARDEN CINEMA(渋谷区)
- ポレポレ東中野(中野区)
- UnKnown Theater(杉並区)
- ユジク阿佐ヶ谷(杉並区)
- ラピュタ阿佐ヶ谷(杉並区)
- シネ・リーブル池袋(豊島区)
- シネマ・ロサ(豊島区)
- 新文芸坐(豊島区)
- CINEMA Chupki TABATA(北区)
- シネマブルースタジオ(足立区)
- 船堀シネパル(江戸川区)
- kino cinéma 立川髙島屋S.C.館(立川市)[21] ※2019年6月開館、「キノフィルムズ#映画館の開設」も参照。
神奈川県編集
- シネマ・ジャック&ベティ(横浜市)
- シネマノヴェチェント(横浜市)
- 横浜シネマリン(横浜市)
- kino cinéma 横浜みなとみらい(横浜市)[22] ※2019年4月開館、「キノフィルムズ#映画館の開設」も参照。
- あつぎのえいがかんkiki(厚木市)
- 川崎市アートセンター アルテリオ映像館(川崎市)
中部地方編集
新潟県編集
富山県編集
- ほとり座(富山市)
石川県編集
福井県編集
長野県編集
静岡県編集
愛知県編集
近畿地方編集
三重県編集
京都府編集
大阪府編集
- テアトル梅田(大阪市)
- シネ・リーブル梅田(大阪市)
- 第七藝術劇場(大阪市)
- シネマート心斎橋(大阪市)
- シネ・ヌーヴォ(大阪市)
- プラネットプラスワン(大阪市)
- 淀川文化創造館シアターセブン(大阪市)
兵庫県編集
中国地方編集
岡山県編集
広島県編集
山口県編集
四国地方編集
香川県編集
- ホールソレイユ・ソレイユ2(高松市)
- 二十四の瞳映画村・ギャラリー松竹座映画館(小豆島町)
愛媛県編集
高知県編集
九州・沖縄地方編集
福岡県編集
- KBCシネマ(福岡市)
- kino cinéma 天神(福岡市)[23] ※2020年6月開館、「キノフィルムズ#映画館の開設」も参照。
佐賀県編集
長崎県編集
熊本県編集
大分県編集
宮崎県編集
鹿児島県編集
沖縄県編集
閉館したミニシアター編集
1999年閉館編集
- シネ・ヴィヴァン・六本木(東京都港区)
- シネマ・ヴェリテ(大阪府大阪市)※「ACTシネマ・ヴェリテ」→「シネ・ヌーヴォ梅田」と改称を経て閉館。
2003年閉館編集
- 京都朝日シネマ(京都市中京区)
2008年閉館編集
- 渋谷シネ・ラ・セット(東京都渋谷区)
- シネマアートン下北沢(東京都世田谷区)
2009年閉館編集
- テアトルタイムズスクエア(東京都新宿区)
2010年閉館編集
- シネカノン有楽町1丁目(東京都千代田区)
- 渋谷シアターTSUTAYA(東京都渋谷区)
- 滋賀会館シネマホール(滋賀県大津市)
2011年閉館編集
- シネセゾン渋谷(東京都渋谷区)
- シネマ・アンジェリカ(東京都渋谷区)
- 池袋テアトルダイヤ(東京都豊島区)
- 高槻セレクトシネマ(大阪府高槻市)
2012年閉館編集
- シアターN渋谷(東京都渋谷区)
- ゴールド劇場・シルバー劇場(愛知県名古屋市)
- テアトル徳山(山口県周南市)[24]
2013年閉館編集
- 銀座テアトルシネマ(東京都中央区)
2014年閉館編集
- 蠍座(北海道札幌市)
- シネマスクエアとうきゅう(東京都新宿区)
- 梅田ガーデンシネマ(大阪市北区)※跡地はシネ・リーブル梅田が増床分として使用
2016年閉館編集
2017年閉館編集
- 立誠シネマ(京都市中京区)
2018年閉館編集
- 十日町シネマパラダイス(新潟県十日町市)
2019年閉館編集
- ココロヲ・動かす・映画館〇(東京都武蔵野市)
2020年閉館編集
脚注編集
- ^ 高野悦子『エキプ・ド・シネマの三十年』講談社、2004年
- ^ a b c 「呼吸はピッタリ 二人の岡田茂氏」『週刊文春』1973年9月10日号、文藝春秋、 24頁。
- ^ a b 「三越がミニ映画館チェーン 座席50で本支店に豪華ムード」『経営評論』1973年9月号、経営評論社、 19頁。
- ^ a b 岡田茂『なぜだ!!いま三越岡田商法は生きている』徳間書店、1984年、64-67頁。木下律夫・足村二郎『正念場を迎える岡田体制 三越』朝日ソノラマ、1980年、124-129頁。
- ^ 三越映画劇場 港町キネマ通り
- ^ 館主さんを訪ねて 第013回 「三越映画劇場(星ヶ丘)」支配人 市野康史さん 日本映画映像文化振興センター
- ^ 「東映の今後についてのイメージは?岡田茂社長にその方針を聞く 『ミニ・シアターを!』」『キネマ旬報』1972年10月上旬号、キネマ旬報社、 115頁。
- ^ 「邦画マンスリー 洋画に大攻勢をかけた秋の大作戦線と、転換期を迎えた邦画界」『ロードショー』1977年12月号、集英社、 189頁。
- ^ 「トピックス 三越映画進出の賑やかな周辺 ー社長同士が仲のいい東映とドッキングかー」『実業界』1977年11月15日号、株式会社実業界、 19頁。
- ^ 「映画界東西南北談議期待される来年の映画界今年の成果を土台に大きな飛躍を望む」『映画時報』1977年11月号、映画時報社、 8頁。
- ^ “東映映画が変わる 社外監督に門戸開放 製作費は折半”. 読売新聞 (東京: 読売新聞社): p. 7. (1979年4月18日)
- ^ 岡田茂『クロニクル東映 1947ー1991 〔Ⅱ〕』東映株式会社、1992年、68-69頁。『東映の軌跡』東映株式会社総務部社史編纂、東映株式会社、2016年、261頁。
- ^ 高平哲郎『スラップスティック・ブルース』冬樹社、1981年、236-239頁。
- ^ 「映画界の動き 東映、東西2館を拠点にT・C・C創設」『キネマ旬報』1979年6月上旬号、キネマ旬報社、 175頁。高橋英一・西沢正史・脇田巧彦・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 多様化する東映の製作システム」『キネマ旬報』1979年7月上旬号、キネマ旬報社、 206-207頁。
- ^ 「アスミックエース・原正人社長/椎名保専務対談 『激動期迎える中で映像事業新構築』」『AVジャーナル』1998年6月号、文化通信社、 26頁。
- ^ 斉藤守彦『80年代映画館物語』洋泉社、2014年、50-51頁。ISBN 978-4-8003-0529-9。
- ^ 休館相次ぐミニシアターは、本当に存亡の危機なのか? 日経トレンディネット、2011年02月10日。
- ^ a b “「ミニシアター」で相次ぐパワハラ問題、一体何が起きているのか”. ダイヤモンド・オンライン (2021年1月24日). 2021年1月25日閲覧。
- ^ 【まとめ】渋谷のミニシアター8選 Fashiosnap 株式会社レコオーランド、2014年7月8日
- ^ 個性が光るミニシアターを楽しもう!渋谷にあるミニシアターまとめ ciatr, 2016年1月28日
- ^ kino cinéma(キノシネマ)立川髙島屋S.C.館(kino cinéma 公式サイト内)
- ^ kino cinéma(キノシネマ)横浜みなとみらい(kino cinéma 公式サイト内)
- ^ kino cinémaキノシネマ天神(kino cinéma 公式サイト内)
- ^ news - 45年間ありがとうございました。 テアトル徳山、2012年12月28日
関連項目編集
- ショートフィルムシアター(短編映画館)
- 小劇場
外部リンク編集
- ミニシアター再訪 大森さわこ、芸術新聞社