新開実重

平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将

新開 実重(しんがい さねしげ、? - 1200年正治2年))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将。父は土肥実平。養父は新開忠氏

 
新開 実重
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 不詳
死没 1200年正治2年)
別名 荒次郎
墓所 東雲寺埼玉県深谷市
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝
氏族 新開氏・土肥氏
父母 父:土肥実平
養父:新開忠氏
兄弟 土肥遠平
明妙院
新開重秀
新開奏重
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生涯

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父は相模国の武将の土肥実平。兄弟に土肥遠平がいる。後に新開忠氏の養子となったとされるが、定かではない[1]

1180年治承4年)の石橋山の戦いの後は箱根・土肥の山中を父の実平に従って源頼朝を助け、房総半島へ舟出する際には参加せずに「頼朝公は無事」との知らせを北条政子へ伝える役目を果たしたとされる[2]。また徳島県阿南市にある牛岐城の築城はこの新開氏の一族が関係しているという説があるが、詳しくはわかっていない[3]

1200年正治2年)、死去。墓所は埼玉県深谷市にある東雲寺

脚注

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  1. ^ 新開氏”. 武家家伝. 2021年12月5日閲覧。
  2. ^ 新開忠氏・新開実重の解説~源頼朝に早期から味方した新開氏”. 鎌倉武将本家. 2021年12月5日閲覧。
  3. ^ 至徳年間1384年 - 1386年)に細川氏に従っていた新開実重が、阿波国に入った際に築城したとする説があるが、実重の没年などが合わないため、不明な点が多い。