日下部
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日下部(くさかべ)
- 日本語の姓
- 日本の姓のひとつ。「ひかべ」と読む場合もある。
- 日下部氏 - 日本の氏族。
- 日本の地名
- 姓名
- 日下部三之助 - 東京府士族・教育学者[1]。東京教育社社長。1897年の東京奠都祝賀会発起人[2]。
- 日下部義夫 - 大審院判事。日下部三之助長男[1]。
- 日下部克通 - 裁判官
- 日下部優香 - 同
- 日下部祥史 - 同
- 日下部滋 - 電源開発、経済審議庁、東京地方経済安定局長
- 日下部昭紀 - 電源地域振興センター役員
- 日下部九兵衛 - 社長(飛騨電燈、飛騨物産、飛騨貯蓄銀行)
- 日下部久太郎 - 社長(日下部汽船)、取締役(十六銀行)
- 日下部貞彦 - 取締役(スマトラ拓殖)、経理部長(極洋捕鯨株式会社)
- 日下部三九郎 - 外交官
- 日下部三九郎 (商人) - 日三商会貿易商
- 日下部滋 (官吏) - 大蔵省主計局
- 日下部庄一 - 三井生命保険品川支部長
- 日下部庄吉 - 社長(段木 (企業))、取締役(大垣瓦斯)
- 日下部鉦次郎 - 技師(東京都市逓信局)
- 日下部徳丸 - 日本製鐡八幡製鐡所を経て社長(日下部機械)
- 日下部富蔵 - 教授(長岡高等工業学校)
- 日下部政徳 - 弁護士、取締役(甲良鉱業、山本殖産)、重役幹部(三笠銀行、尾道船渠造船所、中央物産、吉田商事 (1940年代)、九州製炭)
- 日下部彌三郎 - 取締役(日下部汽船、岐阜信託)、岐阜商工会議所議員
- 日下部與一 - 監査役(愛造商船、名古屋トヨダ販売)
- 日下部義太郎 - 工学博士。三菱合資会社を経て取締役技術顧問(岡上鉱業、釧路炭鉱、東洋水銀工業、金馬鉱業)、技術監督(ヤマト工作所)。講師(早稲田大学)。当時の日本のボーリングの権威
関連項目
編集脚注
編集- 出典
- ^ a b 人事興信録 第13版(昭和16年)上。1941年。
- ^ 「奠都三十年祝賀帖」、1898年。