旧滝沢本陣(きゅうたきざわほんじん)は、福島県会津若松市にある会津藩本陣跡。国の史跡に指定されている。現存する建物のうち、主屋および座敷は、旧滝沢本陣横山家住宅(主屋・座敷)として国の重要文化財に指定、敷地と建物は国の史跡に指定されている。

旧滝沢本陣
(旧滝沢本陣横山家住宅)

正面奥が重要文化財「旧滝沢本陣横山家住宅」の主屋
所在地 福島県会津若松市一箕町大字八幡字滝沢122
位置 北緯37度30分22.64秒 東経139度57分9.73秒 / 北緯37.5062889度 東経139.9527028度 / 37.5062889; 139.9527028座標: 北緯37度30分22.64秒 東経139度57分9.73秒 / 北緯37.5062889度 東経139.9527028度 / 37.5062889; 139.9527028
類型 本陣・農家
形式・構造 木造、入母屋造茅葺
建築年 1678年延宝6年)
文化財 国の重要文化財
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概要 編集

滝沢本陣は、旧若松城下から白河、江戸に至る旧白河街道沿いにあり、滝沢峠の城下側の上り口にある。現存する建物は1678年延宝6年)に建てられ、その頃から、会津藩主が白河街道を通る際の休息所として使用された。その後、歴代会津藩主の参勤交代[1]をはじめ、領内巡視、藩祖保科正之をまつる土津神社の参詣の際に休息所として利用された。戊辰戦争時には、藩主松平容保の出陣によって陣屋となり、座敷には当時の戦闘による弾痕や刀傷などが残る。  

文化財指定 編集

現存する本陣建物のうち、門、名子[2]が居住した名子屋および高札場を除く主屋・座敷は、近世において滝沢組郷頭を勤めた横山家の住居として、屋内の半分が土間となっているなど、近世の農民住宅の形がよく残されている。主屋は1678年の建築で、福島県の民家ではきわだって古く、また、本陣座敷は19世紀初め(文化文政期)に建て替えられたものであるが類例が少ないものとして、1971年昭和46年)に重要文化財に指定されている。

また、敷地と建物は、会津藩が参勤交代のときなどに使用した本陣の遺構であり、江戸時代の藩政、交通を知るうえで重要として、1970年(昭和45年)に国の史跡に指定されている。

所在地 編集

福島県会津若松市一箕町大字八幡字滝沢122番地

脚注 編集

  1. ^ 会津藩の参勤交代は下野街道が使われていたが、1683年天和3年)に街道沿いにおきた地震により山崩れがおき、下野街道は不通となった。これにより、会津藩の参勤交代ルートは、白河街道に変更された。
  2. ^ (なご) 郷頭、肝煎、本百姓などの主人の屋敷内外に居住し、生産手段を貸与され、主人の命じる農事の労役に従事した隷属農民。

参考文献 編集

  • 『図説 日本の史跡』第8巻、近世・近代2(1991年)同朋舎出版
  • 『会津若松史』第3巻、会津藩の確立(1965年)会津若松市

関連項目 編集

外部リンク 編集