明石正風
戦国時代の武将。赤松氏の家臣。明石氏当主。備前守。子に明石祐行
明石 正風(あかし まさかぜ)は、戦国時代の武将。赤松氏の家臣。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 正風、宗和/隠月斎(号) |
別名 | 長行 |
官位 | 備前守 |
主君 | 赤松晴政 |
氏族 | 明石氏 |
妻 | 宇喜多能家娘 |
子 |
祐行、岩姫、梶原景則室、栗山利安室、 安正 |
略歴
編集播磨国の枝吉城を拠点としていた明石氏の当主。赤松晴政に仕えていた。享禄4年(1531年)、武庫河原の戦いで浦上村宗に勝利した。天文7年(1538年)、尼子晴久による播磨侵攻に於いては、御着城主・小寺則職と共に晴久に呼応し赤松政村と交戦するが敗れ、後に淡路国岩屋城へ逃亡し、その後、和睦した。
逸話
編集明石氏は代々、書や和歌を伝統的に興じる家風で、特に正風は戦国武将でありながら風流人であったとされ、時の関白、近衛稙家に和歌を伝授した記録が残る。
系譜
編集娘・岩姫は小寺政職の養女として姫路城代の黒田職隆に嫁ぎ黒田孝高(官兵衛・如水)を産んだため、正風は孝高の母方の祖父にあたる。子・安正も黒田氏に仕えた。孫に貞行、曾孫に則実。