子安地蔵寺

和歌山県橋本市菖蒲谷にある高野山真言宗の寺院
易産山から転送)

子安地蔵寺(こやすじぞうじ)は、和歌山県橋本市菖蒲谷にある高野山真言宗の寺院。山号は易産山(いさんざん)。「ふじ[要曖昧さ回避]の寺」として知られる。

子安地蔵寺

本堂(左奥)と水子地蔵尊(手前右)
所在地 和歌山県橋本市菖蒲谷94
位置 北緯34度20分15.1秒 東経135度34分56.6秒 / 北緯34.337528度 東経135.582389度 / 34.337528; 135.582389
山号 易産山(易產山)
院号 護國院
宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩
創建年 天平9年(737年
開基 行基
正式名 易産山護国院地蔵寺
(易產山護國院地藏寺)
別称 子安地蔵寺
札所等 関西花の寺二十五霊場第24番
紀伊之国十三仏霊場第5番
紀伊西国霊場第2番
伊都郡四国八十八ヵ所第57番
公式サイト 子安地蔵寺 公式ウェブサイト
法人番号 3170005004687 ウィキデータを編集
子安地蔵寺の位置(和歌山県内)
子安地蔵寺
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歴史 編集

伝承によれば、天平9年(737年)の春、行基の開基で、本尊の地蔵菩薩も行基が自ら刻み、女人安産守護のために安置したという。

天正9年(1581年織田信長織田信孝による高野攻め(紀州征伐)の時兵火にあい、地蔵堂は焼失したが、本尊は人里離れた山中に難をのがれたのを村人によって発見された。その地を"かくれがた"と名づけられている。

その後、紀州徳川家の祖・徳川頼宣(南龍公)によって地蔵菩薩を安置する堂が建立され、正保5年(1648年)田園2町歩が本尊香花の費として供養され、頼宣は11回に亘って参詣した。

関連項目 編集

注釈・出典 編集

外部リンク 編集