有馬氏保
有馬 氏保(ありま うじやす)は、江戸時代後期の大名。上総五井藩第2代藩主。氏倫系有馬家6代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 宝暦12年10月22日(1762年12月7日) |
死没 | 寛政2年7月29日(1790年9月8日) |
改名 | 牧野忠義(初名)→有馬氏保 |
別名 | 直次郎(通称) |
戒名 | 龍湫院殿浄応義雲大居士 |
墓所 | 東京都渋谷区広尾の祥雲寺 |
官位 | 従五位下、備後守、能登守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総五井藩主 |
氏族 | 三河牧野氏→摂津有馬氏 |
父母 |
父:牧野忠寛、母:俊光院(大岡忠光の娘) 養父:有馬氏恕 |
兄弟 | 牧野忠精、氏保 |
妻 | 正室:有馬頼貴の娘・蔦[1] |
子 |
娘(有馬久保正室、牧野貞長養女のち森川俊孝養女) 養子:久保 |
生涯
編集宝暦12年(1762年)、越後長岡藩主・牧野忠寛の次男として生まれる。牧野家時代は牧野忠義を名乗った。兄・忠精同様に高野常道(余慶)が侍読となり、その教育を受ける。
天明3年(1783年)9月、上総五井藩主・有馬氏恕が23歳で没した際、末期養子として跡を継ぎ、諱を氏保に改めた。同年12月18日、従五位下・備後守に叙される。天明5年(1785年)2月15日には、初めて領国に入るための暇を得ている。天明7年(1787年)6月19日に能登守に改めた。
系譜
編集父母
正室
- 蔦 ー 有馬頼貴の娘
子女
養子
脚注
編集- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上、p.60
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』巻第四百七十
- 済海寺遺跡調査団(鈴木公雄)「港区三田済海寺 長岡藩主牧野家墓所発掘調査報告書」(東京都港区教育委員会、1986年)
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)