木下 友三郎(きのした ともさぶろう、1864年9月8日元治元年8月8日[1]) - 1944年昭和19年)11月23日)は、日本の司法官教育者

略歴編集

紀伊国日高郡御坊町生まれ。1880年9月、司法省法学校に入学。同期に横田秀雄(のちの大審院長)や水町袈裟六(のちの日銀副総裁)がいた。司法省法学校の廃校後は東京法学校を経て帝国大学法科大学(仏法科)に編入。1887年7月に卒業して司法部に入り、東京控訴院判事、行政裁判所部長などを歴任した。

判事職のかたわら多くの私立法律学校に出講したが、最も関係の深かったのは明治法律学校(のちの明治大学)で、1912年には岸本辰雄校長の死後、その後任の校長となり、1920年には大学令による初代明治大学学長、さらに1934年3月~9月、1938年8月~1939年6月の2度にわたって総長となった。その人柄は「典型的な明治文明人」[2]春日井薫)と評された。

栄典編集

主な著書編集

  • 『財産取得編講義』 1892年
  • 『行政新論講義』 和仏法律学校出版部、1897年
  • 『行政法講義』 明治法律学院講法会、1901年
  • 『行政法講義各論』 明治大学出版部、1904年

脚注編集

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  1. ^ 8月4日説もある(『明治大学小史―人物編』 38頁)。
  2. ^ 『明治大学小史―人物編』 39頁
  3. ^ 『官報』第4157号「叙任及辞令」1940年11月13日。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集

先代:
岸本辰雄
横田秀雄
鵜沢総明
明治大学校長/学長/総長
1912年 - 1921年
1934年
1938年 - 1939年
次代:
富谷鉎太郎
鵜沢総明
志田鉀太郎