木内 信(きうち しん、文久3年(1863年[注 1] - 大正15年(1926年)8月18日[1])は、日本の政治家。衆議院議員は澄堂、晩翠。

来歴 編集

信濃国佐久郡岸野村(現長野県佐久市)生まれ。長野県師範学校卒業後、明治10年(1877年)同郡八幡村の彰蔵学校教員となり、自由民権運動家として活動する。同18年(1885年)には早川権弥立川雲平らと東信友誼会を結成し、同20年(1887年)に上京して条約改正反対、地租軽減、言論集会の自由を求めた三大建白書を元老院に提出した。

同22年(1889年)に岸野村会議員から長野県会議員に当選、同26年(1893年)には岸野村長に就任。翌年(1874年)第3回衆議院議員総選挙に初当選し、予算委員を務める。同32年(1899年)に南佐久郡会議員や同議長となる。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』202頁では文久2年10月。

出典 編集

  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』202頁。

出典 編集

  • 中村勝実『佐久の代議士』櫟、1989年。
  • 『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。