木食養阿(もくじきようあ、生年不詳 - 宝暦13年11月21日(1763年12月25日))は、江戸時代中期の真言宗の僧。京都の出身。

貞享4年(1687年)ごろ(異説あり)丹波国(現、京都府)桑田郡保津村の村上庄右衛門の子として生まれた。俗名は村上八郎。

24歳のとき、泉涌寺雲龍院の慧雄に師事して出家し、朋厚房正禅(しょうぜん)と名乗った。

正徳元年(1711年)高野山に上って木食恵昌について十穀を絶つ木食の行を学び、大阿闍梨になった。

その後、信濃国(現、長野県)善光寺、美濃国(現、岐阜県)等諸国を行脚した後、京都に戻って念仏活動を行った。

享保3年(1718年)京都一乗寺狸谷山不動院を再興。享保10年(1725年)京都五条坂安祥院を再興したほか、橋や道路の土木工事を行った。

寛保元年(1741年)には法橋上人位に任じられ養阿(ようあ)と名乗った。

宝暦13年(1763年)安祥院で亡くなったとも、京都日ノ岡梅香庵で亡くなったとも伝える。