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本多副元

本多 副元(ほんだ すけもと)は、江戸時代末期の武士越前国福井藩家老本多氏(作左衛門家)9代当主。維新後男爵

 
本多副元
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 弘化2年1月6日1845年2月12日
死没 明治43年(1910年10月24日
官位 男爵
主君 松平茂昭
越前福井藩家老
氏族 水戸徳川家支流府中松平家本多氏(作左衛門家)
父母 父:松平頼功、養父:本多富恭
兄弟 片桐貞篤副元大関増勤(諸説あり)、風早実豊
分部光寧
副恭

生涯編集

弘化2年(1845年)、常陸国府中藩9代藩主・松平頼縄の弟である頼功の次男として誕生する。

文久3年(1863年)、福井藩筆頭家老・本多富恭の養嗣子となった。幕末維新の動乱期に藩主名代として、元治元年(1864年)に天狗党の乱が勃発した際は、賊徒である天狗党の行く手を阻み、鎮圧に活躍している。長州征討会津征伐などにおいて活躍した。

大政奉還を経て、明治維新後の華族制度発足により、旧大名は華族となったものの、福井藩筆頭家老であった本多家は江戸幕府制度下では大名待遇であったにもかかわらず名目上は陪臣であったため、士族とされた。しかし1870年、これを不服とした家臣や領民が本多家の家格向上を訴えて暴動(武生騒動)を起こす。この結果、明治12年(1879年)に華族に列せられ、明治17年(1884年)には男爵に叙された。

副元は地元の教育振興に熱心で、明治6年(1873年)に旧本多館跡[1]と金500円を寄付し、3階建の校舎を持つ進脩小学校建設に尽力した。

脚注編集

  1. ^ 武生市役所の地。


日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
福井本多家初代
1884年 - 1910年
次代:
本多副恭