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本多 紀貞(ほんだ のりさだ)は、上野白井藩主。

 
本多紀貞
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 天正8年(1580年
死没 元和9年4月26日1623年5月25日
改名 次郎八(幼名)、紀貞
戒名 源光院殿前備州然誉宗廓大居士
墓所 群馬県渋川市の源空寺
官位 従五位下、対馬守、備前
幕府 江戸幕府
上野国白井藩
氏族 本多氏
父母 父:本多康重、母:石川家成の娘
兄弟 康紀、次郎丸、紀貞重世
なし
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天正8年(1580年)、徳川氏の重臣本多康重(のちに白井藩主・三河岡崎藩主)の三男として生まれる。元和4年(1618年)3月5日、1万石を与えられて白井藩主となり、同時に大番頭に任じられた。元和9年(1623年)4月26日に死去(一説に寛永元年(1624年)とも)。享年44。

紀貞には嗣子がなかったため、白井藩本多氏は改易され、同時に白井藩も廃藩となり、白井城も破却された。