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本庄 道昌(ほんじょう みちまさ、明和8年4月24日(1771年6月6日) - 文政6年1月20日(1823年3月2日))は、美濃国高富藩第8代藩主。第7代藩主本庄道利の長男。母は側室の福島氏。正室は永井直温の娘。子に本庄道直(長男)、大河内松平輝充(五男)、蕃(しげ)(本庄道貫正室)、娘(今川義用室)、娘(土岐頼庸室)、娘(戸田氏敏室)。幼名は時之助。

父が本庄家に養子に入る以前に生まれた子で、虚弱であるとして、実家の松平家に残っていた。天明4年(1784年)2月25日、本庄家に引き取られた。享和元年(1801年)、父が隠居家督を相続した。文政2年(1819年)隠居し、養嗣子の道貫に家督を譲った。文政6年(1823年)死去。

経歴編集

  • 寛政7年(1795年)12月17日、近江守に叙任。
  • 享和元年(1801年)6月21日、父・道利が隠居して家督を継ぐ。
  • 享和2年(1802年)4月、日光御祭礼奉行に任ぜられる。
  • 享和3年(1803年)6月13日、大御番頭となる。
  • 文化3年(1806年)9月29日、大坂玉造口御定番となる。同日、式部少輔と改める。
  • 文化3年(1806年)11月9日、松平信明の四男・陽之助(後の本庄道貫)を養子として迎える。
  • 文化12年(1815年)3月2日、河内守と改める。
  • 文政元年(1818年)6月22日、病気につき役を免ぜられる。
  • 文政2年(1819年)3月22日、隠居。養子の道貫が跡を継ぐ。
  • 文政6年(1823年)1月20日、江戸で死去、53歳。法名は庸楽院實誉随念享福。